中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

平子龍

投稿日:2008年8月29日

前項と同時期、日本武術に関する書籍を漁っていた頃のこと。
僕にとって特筆すべき出会いがあった。
武道専門書というよりは、どちらかと言えば読み物の類だったのだが、
『要訳武道極意』(西東玄・編集 自由国民社 1980年)
という本で、昔の剣豪や近代の武術家の逸話、日本の代表的な剣術流派の極意伝書の一部が幾つか紹介されていた。
それぞれ端折ってはあったが、とても面白かった。
そして解りやすく、参考になった。
当時の僕としては、特に「五章 極意伝書-心法篇-」として紹介されていた
『猫の妙術』(佚齋樗山 - いっさいちょざん)
『剣徴』(平山子竜 - ひらやましりゅう)
---が印象的で、特に後者の平山子竜に感銘を受けた。

平山子竜は宝暦二年(1759)~文政十一年(1828)の人で、本名は潜(ひそむ)、通称行蔵(こうぞう)、子竜は字であるとのことだ。
但しこの本では“ぎょうぞう”とルビがふられていたので、僕は長い間“ひらやまぎょうぞう”だと思っていた。

彼は江戸四谷伊賀町の伊賀衆の家に生まれた、つまり忍者の末裔なのだが、伊賀衆とは伊賀組同心というから、よく時代劇に出てくる“三十俵二人扶持”の下級役人ということになる。
例えばTV時代劇“必殺シリーズ”の中村主水も同じ身分だろう。
一説によると三十俵二人扶持とは、現代に換算すると年収100万円前後ではないかとのことだ。しかもその収入で家来を1人雇わないといけなかったらしい。
もっとも、この時代の物価はよく知らないし、平山行蔵(子竜)が家来を持っていたのかどうかも知らない。
ただ、最盛期には門弟が三千人になったとも言われているので、生涯、三十俵二人扶持から想像されるような貧乏だったわけではないだろう。

彼が生きた時代は、ペリー来航が嘉永六年(1853)なので、幕末に近いが、まだ平和な頃の江戸時代だ。
幕末の英雄勝海舟の父小吉が師事していたことでも知られており、直心影流の男谷精一郎も彼の門人だったそうだ。
ただ、男谷と海舟は従兄弟にあたるので、小吉の薦めがあったのかも知れない。
その勝小吉は、『平子龍先生遺事』という、平山行蔵のことを綴った本を出している。
この本の存在は最近知ったのでまだ読んでいないのだが、そのタイトルに倣って、この項を“平子龍”にした。

人物としては、常在戦場を旨とし甲冑のまま土間に寝るというような奇人であったらしい。
精力絶倫で、小男ながら怪力の持ち主。
毎日凄まじい鍛錬をしていて、相撲取りの雷電も力比べして敵わなかったという。
しかし同時に文武両道の人で、ロシアの南下政策を警戒し海防論を説いたため、近藤重蔵、間宮林蔵とともに“蝦夷の三蔵”とも呼ばれたそうだ。

…まぁ、彼のプロフィールについてはこれくらいにする。
もっと詳しく知りたい人は、ネット検索でもしてみるといい。

で、この本の中で紹介されていた彼の著書『剣徴』は、現代語の訳文を入れてわずか9ページほどだったのだが、書いてあることがいちいち凄かった。

少しばかり概略を述べよう。

まず、
「受け技など卑怯な剣術はやめよ」
というところから始まる。
言わんとするところは、戦いは主導権を取ることが大事で、いかに受けてどうとか、小手先の技に精通することなど意味を成さない、ということだ。
そして、
「戦場では個人技は通用しない」
と続き、たった一人との勝負なら、いかに受けて…とか、そういうことも少しは無いでもないが、垣根のように並び立ち大勢同士がせめぎ合う兵と兵との戦いにそんな技は役に立たないと説く。
また、
「太刀遊びから脱却せよ」
…と。
二の太刀、三の太刀など考えるな、そういうことを考えるから初太刀が疎かになる、初手をし損じたらただ真っ向切られて死ぬだけだ。
そして、“先”の心は稽古の中で会得するものであって、例えば“後の先”は四分六のところで打つとか指導されても打てるものではない、剣法は算盤勘定ではない、と。

とにかく、気勢。
そして、決死の覚悟を重視した言葉が続く。

最も際だつのが、
「決死の一人、千人を走らす」
というくだりだ。
死刑囚を野に放って千人に追わせたとする。
もしこの一人の死刑囚が草原に身を潜めたら、追手千人は自分が襲われないかびくびくしながら後ろを振り返ったり、きょろきょろと落ち着かないことになる。
命がけの一人は千人を恐れさせるということだ。
これに比べれば、たかが一対一の戦いなど、大したことはない。

---と、まぁ、こんな感じだ。

上記はかなり省略しているが、本文では、中国の複数の兵法書などから言葉を引用しながらきめ細かく説明している。
何となく戦時中の特攻精神のように、いかにも日本的な精神論を思わせる部分もあるかも知れないが、しかし僕は、雷に打たれたような思いだった。

太極拳や中国武術は、何かと細かい要求が多い。
姿勢、重心の位置、手足の角度、イメージ、呼吸…諸々。。
もちろんそういう繊細な方法論も大事だとは思うのだけど、だからと言って、それをやったから空手やボクシングに勝てるとは限らない。
なのに神秘的なイメージの中で中国武術至上主義に陥り、他の武道や格闘技をバカにし、自分はこれで確実に強くなれると思っている人が少なくない。
まー、他の武技の人も多かれ少なかれそんなところはあると思うけど、中国武術の場合は独特の雰囲気の中でそれがある。
そして僕自身も、この当時そんなところが無かったとは言えない。
平山行蔵が言っていることはいかにも現実的で、僕は一気に目を覚まさせられた気になった。

そして改めて、武術とは何か?…を、考えるきっかけにもなった。

ここで言いたいのは、武術の存在意義ということではなく、
まぁそれも含まないではないけど、
数多くある格闘技術は、本当にそれだけの違いがあるのか?…ということだ。
もちろん、力を養い体を鍛えて強くなるという以外に、色々な工夫があること、その中で様々な技が生まれてくることは、当然なのだが、どれも、まず決まったフォームを強制して馴染ませ、決まった攻撃を想定してそれに対する技を組み立てている…という点は、あまり変わらない気がするし、同じ五体を持つ人間がすることは、皆、大同小異な気もしてしまう。
それに、、
武術は最終的に無形になることを理想とすると言われる。
例えば、野生のトラやライオンのように、体のカタチに添った当たり前な動きで、杓子定規な型など無くても、ただ強いという境地に、いかにたどり着くか、だ。
だとすれば、
そのためのメソッドとして、あまりにも細か過ぎることは、本当に必要なことばかりなのだろうか!?
また、
「自分はどうなりたいのか?」
…と考えたとき、
別に僕は仙人や魔法使いになろうとしているわけではないし、現実を生きていく中での、僕にとっての武術を目指せばいいと思うようになった。
もちろん、イザというときに戦えるような強さは身につけたい。
しかし何故武術をやるのかというところは、何よりまず好きであること、そして、人としての強さを身につけたり、成長していくための足がかりの一つであるということが大きい。
そう思うと、
他派の武術の方が凄いんじゃないかと隣の芝生を青く思う気持ちも、兄弟弟子に対する競争心も、奥の奥や秘伝を知りたいと熱望する焦燥感も、少しずつだが楽になった。

いや、もう少し正確に言えば、まだ先生のところに居た頃は、戦いにおける心の持ちようや技を使うときの覚悟の部分に心打たれ、先生のところを離れた時期は、この本を読み返して、こういう心境になっていったわけだが…。。

これをあきらめに似た気持ちと捉える人も居るかも知れないけど、僕は、武術の本質に一歩近づいたことだと思っている。
少なくとも、まず虚飾に惑わされずに格闘技術を客観的に見られる目が養われるきっかけになった。
技遊びになってはいけないと心に留めるようにもなった。
そしてその上で、他の武技も、認めるところは認め、参考にして、自分がやっている技の理解に役立てたりできるようにもなった(…と思う)。
それはやっぱり、
平山行蔵の言葉によって、どこか摩訶不思議で便利そうで、特別に優れているように見えていた太極拳や中国武術を、現実的な格闘技術の一つとして捉えられるようになったからだった。

ちなみに、この平山行蔵は、結構“通好み”の剣豪らしく、時代小説にも度々登場している。
武術家の中でも意外とファンが多いようだ。

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