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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

脱力と力との狭間の迷路

投稿日:2007年3月21日

武術の技術としてよく取り沙汰されていることの一つに“脱力”がある。
僕が初心者の頃、当時の太極拳関連の本では、「脱力」というより「リラックス」と表現して説明する方が多かった気がする。
もちろんこれは、
「心や身体の緊張をゆるめる」
という意味だ。
リラックスという言葉を用いている中には、
「脱力とは違う」
として説明している場合もあったように記憶している。
まぁ、いわゆる“脱力感”からイメージされるような、へなへなと力が抜けてしまっている状態ではないと言いたかったのだろう。
もちろん、今で言うところの「脱力」も、単に力が抜けることではない。
端的に言えば、力を抜き、緊張や力みを取り去ることで、力を効果的に使うための技術の一つだ。
また、
「力は抜けば抜くほどいい」
という人も居るけれど、本当に力が抜けてしまったら人間は立っていることすらできない。
それこそ“へなへな脱力”だ。
だから、本当に力を抜き去ることとも言えない。
そしてもちろんこの場合も、ここまで抜くと言いたいわけではあるまい。
言葉のあやというものだが、
なかなか、伝えることも、理解することも、難しい。

リラックスという意味では、初心者に対してはそれでいいと思う。
誰でも、それまでの経験上や生活習慣上の動きが身についている。
慣れない太極拳の動きを習得しようとするとき、最初はぎくしゃくしてしまうし、おかしなところでつい力んでしまったりする。
まずはそういう力みを取るところから始めるしかないので、
「リラックス」
というのは当然だし、また、わかりやすいと思う。

僕の場合も、最初は、
「まず体をゆるめて、できるだけ力を抜いて、最低限の力で動くように」
と教えられた。
ただ、自分が、空手の癖が残っていて力みがあることは、
「言われてみれば確かにそうだ」
と、自覚はしていたのだが、先生の説明が理解できなくて迷うところもあった。
例えば、
正宗太極拳には、纏糸(てんし)もふんだんに含まれている。
纏糸とは捻りを含んだ動作のことで、捻ることで強い姿勢を作り相手の攻撃を弾く作用があるとされている。
(この表現は誤解を生じるかも知れないが、あえてこうしておく)
…で、
姿勢を注意され、手の角度などを修正されると、結構力の入ったカタチとなる。
身体・手・足に纏糸、または絞める・絞るような姿勢・動作が含まれれば、それを維持するための力が入る。
脱力とは相反してしまうのだ。
…まぁ、これも“力み”の類だと言われるかも知れない。
ただ、空手だって、始終踏ん張って力んでいるわけではないし、力を抜けというようなことも言われる。
そして余計な力みを除いた上でも、やはり力は要る。
単純に腕を上げる動作だけを考えてみても、普段、誰しも自分の腕の重みを感じるわけではないが、やはり力を使っているはずなのだ。
力を抜けと言われながら、姿勢の要領などを守ろうとすれば力が入ってしまう。
これはどうしたものか…!?

最初の迷路に入った。

結局、それもなるべく最小限の力で行うことにして、ひとまず消化したのだが、力と脱力との区別を型の上でどう扱うかというのは、なかなか解決されない課題だ。
力が入る部分を最小限の力で行うにしても、最小限とはどれくらいかということにおいて、答えは無いに等しい。
では、抜き去ることにとことん拘ればいいのかと言えば、本質から外れる気もする。
力を抜くことは訓練の一つで、相手を打つ瞬間には何らかの力が働くものだし、攻撃を受け流す場合も、姿勢として強い状態で受けていなければ、自分が弾かれ崩されてしまうかも知れない。
太極拳的にふわりと化勁で受け流すというのは、相手の攻撃方向を外していれば手は添えているだけのようなものだという理屈だが、実際にはそう簡単ではない。
それに、添えているだけのような受けでは、相手は崩れてくれない。
接触時にはふわりでも、相手の弱い方向に対して幾らかの力を加えてやらなければ崩れないし、崩れなければすかさず次の攻撃が来ることになる。

でもまぁ、当時のことで言えば、ウチの場合、先生方も、
「力は必要」
という考えだった。(…と解釈している)
先生の兄弟弟子の方でS先生という方がいらっしゃって、その方からも拳法を教えてもらっていたのだが、確かこんな風なことを言われた記憶がある。
「力を否定して武術として成り立つと思うか?力を抜くのは訓練の一つや。力の入れ方、使い方も学ばなアカン」
だから、ウチの場合、力を抜くばかりの太極拳ではなかった。
しかしやはり脱力も大事で、それについても終わりがない。

ところで、そもそも脱力とはどういうものなのかを考えてみる。

現代人は何故か様々なところに力みがあり、力を効果的に使っていないと言われる。
例えば、腕には屈筋と伸筋があり、引っ張りあっている。
もちろん両者が協調して動き、手を曲げたり伸ばしたりできるわけだが、このどちらにも力が入って固くなっている状態だと、力は分散するし、速く動かすことができない。
筋肉を効果的に、動きに応じた使い分けができるようにするためには、まず力を抜くことから始めなければならない、というのが「脱力」の第一歩ではないだろうか。

次に、身体の重みを効果的に使うため、ということが挙げられるだろう。
「酔っぱらいは力が抜けていて重い」
というのは、よく言われることだし、経験がある人も多いだろう。
人の体は、たくさんの筋繊維が引っ張り合って立っている状態になっている。
道でこけた人を助け起こす場合も、その人が多少でも動ければ、体重が60キロあっても、60キロの重みを感じることはない。
ところが力が抜けた場合は、ほとんどそのままに近い重みとなる。
女の子をお姫様抱っこするときも、相手が首に手を回して身体を曲げてくれている状態だから、自分の体の中心に近くて重心がとれるが、もし気を失って伸びていたなら、抱き上げるのに苦労する。
体格がいいというほどでない人でも、これがヒトでなくただの物体だとすれば相当な重さだし、それが一定以上の速度でぶつかってきたとしたら、威力も大きい。
だからこういった体の重さを武術的に利用する場合、脱力が効果を発揮するのだ。
色々な使い方があるが、まず腕一本で考えてみよう。
腕一本だって、もし体から外して量ったとしたら、何キロもあるに違いない。
例えば形意拳の劈のように腕を振り下ろす場合、力が抜けていることによって腕の重みを効果的に使うことができる。
また、体の使い方によって力のモーメントが加われば、拳や掌にはさらに大きな力が伝わることになる。
もし、屈筋・伸筋に力が入って引っ張り合い固くなっている要素が強ければ、効果は逆になってしまう。

そして、もう一つは、瞬発力。
力が抜けていて、瞬間的に力を入れることによって、高い瞬発力が生まれる。
力が入っている状態からさらに力を入れようとしても、瞬間的・瞬発的な力とはならない。

大体このようなことを踏まえて、身体操作としての脱力を巧く使うことが、それ以外の技法にも通じていて重要なのだと思う。

ちなみに。
筋肉を鍛えると脱力ができないと考えている人が居るが、脱力は技術であって、筋肉とは関係ないと思う。
筋肉は、量的には、付けすぎると体が重くなるので、そのバランスは考えなければならないと思うが、“筋力”は高ければ高いほどいいに決まっている。
(まぁ、この辺のことはまた改めて…)

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