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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

脱力とか緩急とか

投稿日:2009年4月13日

前項と同じ頃、同い年の2人と知り合った。
九州から出てきていたM、四国から出てきていたT山。
それぞれ専門学校や大学を休学して、バイト生活。
3人とも、色んなことがうまくいかない中で酒を覚えて飲み歩いていたのだが、偶然飲み屋で知り会って意気投合、毎日連むような仲間になった。
前に北新地での喧嘩話を書いたときの“新地仲間”だ。
(※2008/05/15『2つの突き Part 3』参照)
この内、T山は極真空手経験者だった。
彼は愛媛出身で、10代のとき松山の芦原会館に通っていて、茶帯だったそうだ。
しかし2年以上ブランクがあるようなことを言っていた。

芦原会館と言えば、漫画『空手バカ一代』にも“ケンカ十段”として登場した故・芦原英幸氏の道場だった。
中学のときに大阪球場(※注1)に極真の大阪支部が出来て、しかもそれが芦原さんの道場だということで話題になったが、松山の方が先だったようだ。
結局僕は他の空手道場に通うことになったのだが、もし大阪芦原支部に入門していたら、T山とも同門だったかも知れない。
そんなこともあって親しみが湧いて、最初は武道の話ばかりしていた。

酒を飲みながら座ったまま手を交えたり、何度かは外で軽い組手をやったりした。
ただ正直、T山はあまり上手くはなかった。
ブランクの間に体が固くなり、僕ほど固くは無いまでも、極真らしい豪快な蹴りでは無くなっていた。
蹴りなら兄弟弟子のK阪さんの方が数段上手かった。
「お前、極真から蹴りを取ったら何があんねん」
なんてからかったりしたが、T山はいつも気さくに笑っていた。
しかし、最初は乗り気だったT山だが、しばらくするとトーンダウンしてきた。
あるとき、いつものようにふざけて軽く手を交えていたら、すぐにやる気が失せた感じになったので、
「どうした?」
と聞くと、
「hide、お前の受けは痛いんぞ。何でそんなに痛いんぞ? お前は痛ないんか?」
と、苦い顔になった。
僕はどれも軽くパシッと受けた程度のつもりだったので、ちょっと驚いた。
「え? マジ!? オレ、軽くしか受けてないぞ?」
「マジや。お前の手で受けられると痛い。何でやろな? オレにも軽く受けてるようにしか見えんのに…」
空手の組手ではもっとバシバシ受けることもあるのに、フルコンの代表たる極真経験者のT山からそんな言葉が出るとは意外だった。

とは言え、実は思い当たることが無いわけではなかった。
以前、『初めての気づき』(2007/03/27)という記事を書いたが、そのときに気づいたもう一つの要領として、“脱力”があった。
もちろん先生からも、太極拳をはじめとして、
「力を抜く方が力が出る」
と教わってはいた。
が、それは実感としてなかなか解らなかった。
ただ、肘や肩の使い方に気づいたとき、腕を振る動作は当然、力を抜いて行うのだが、動作が完成するときは、いわゆる“極め”の姿勢がびしっと決まるように力を入れると、しっくり来る感じがした。
空手でも同じだと思うが、メリハリをつけるわけだ。
突きで言えば、相手に投げつけるように出して、インパクトの瞬間に姿勢を完成させて極める、というように。

太極拳では、全体的にユックリなので急激なメリハリは無いが、緩急は意識する。
余所では力を抜き去る要領で行うばかりかも知れないが、ウチでは、力の使い方も意識する。
そして、形意拳や金鷹拳は、メリハリのある動作を行うので、僕はある時期から表現を自分なりに工夫していた。
言い換えれば、弛緩と緊縮。
あるいは、脱力と注力。
緩急・メリハリを使い分ける。
だから受けるときも、軽くヒュッと出すだけだが、合わさる瞬間に関節を固定するように筋肉を絞っていた。
それだけのことだが、少なくともT山が苦い顔をするほどには効果があったわけだ。
もちろん、相手が痛がるような受け方をしてやろうと、わざとやっていたわけではないのだが、そういう動きになっていたということだ。

思うに、こういうのはやはり型の反復の中で培われたわけで、今の僕が幾らか型を否定的に見るところはあっても、すべてが無駄とは思わない。
やり方にもよるし、工夫にもよる。
体をどう使うかを養ったり、どんな風に動こうかとイメージしたり、そういう訓練を1人で出来るという面では、型はいい稽古方法だと思う。
…まぁ、型のことはそのうちまた、改めて。

で、このときの脱力には課題もあった。
脱力は重要な技術の一つなのだが、脱力そのものの状態は弱い。
だからこそ太極拳や合気道では相手の力に逆らわずに流すのだと言われるかも知れないが、現実そう簡単ではない。
では脱力は、強い力を出すための予備的なものなのか?
と、迷った。
この世界、使える人がどう使っているのかが判れば、それを目指して修練すればいいのだが、細部を隠していて、はっきりとした言葉でなかなか教えてもらえないから、難しい。。

それからまたあるとき。。
3人でキタ(梅田)に遊びに出たとき、夜中に映画館の前を通りかかって、T山がふざけて、ポスターが貼り付けてあるベニヤ板を殴った。
「痛ッたぁ~!」
結構分厚い板だった。
薄いベニヤ板なら誰でも簡単に突き破れるが、ベニヤ板というのは薄い板が木目違いに何層も貼り合わされているので、少し厚くなると強度が格段に増してくる。
まぁ、そのときにそんなことを考えたわけではないけど、とにかくT山はなめてかかって失敗してしまった。
おまけに拳をすりむいて血が滲んでいた。
「ははは。T山も大したことないな!」
「だったらhideやってみろや!ベニヤやと思ったらえらい固かったぞ!」
「いやぁ、T山が無理やったら、オレも無理やろ」
と言いつつ、殴ってみると、
バコッ!
と音を立てて、ほぼ拳大に板が陥没した。
T山は目を丸くして驚いて、割れたところを確かめた。
僕も我ながら驚いた。
拳は無傷で、あまりにも気持ちよく割れたため痛みもまったく無かった。
喜んでいたら、一緒にいたMに、
「お前ら何やってんねん! 見つかったらどうすんねん。犯罪やぞ!」
と怒られてしまった。
(よい子は真似してはいけない)

このとき僕は、組手で受けると相手が痛がったのも、思ったより拳に威力があったのも、太極拳や金鷹拳の型の反復で、少しずつ何かが目覚め始めてるのかも知れないと思ったりした。
まー合っている部分もあり、勘違いもありだ(笑)
確かに、突きが上手くなり、体の使い方が解り、力の使い方が解り…という部分はあっても、結局、板を割るのに充分な力を出せて、それに耐える拳の強度が無ければ、割れないだろう。

拳も、鍛え続けていないとヤワになる。
利き手を大怪我して、だいぶ回復してからだが、割れると思う板を叩いてみて割れなかったことがある。
そのときはT山のように拳をすりむいてしまい、さらに大きく腫れ上がってしまった。
ブランクで下手になってしまっていたことや、拳をかばう意識があって板を割るのに充分な伝達ができなかったせいもあるだろうけど、最も感じたことは、拳が弱くなっていることだった。
このことは拳に限らない。
体の使い方が少々上手くなったところで、体そのものがヤワでは意味がない。

■注釈の説明
注1:昔、南海ホークス(現ダイエーホークス)が本拠地とした球場。現在は「なんばパークス」という複合施設になっている。

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