中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行20:S道場での初めの半年間

投稿日:

ブログを移転して、約20日が過ぎた。

このブログのドメインは、前に“鍛試会”で使っていた「99taichi.info」のサブドメインだ。そのため「doyotaichi.99taichi.info」となっている。
」の字を「」に改めて『鍛志会』とした折、「tanshikai.com」のドメインを取ったので、「99taichi.info」は廃止するつもりだったのだが、このブログで使うことにして残した。

そして去年、試験的にワードプレスをインストールしてseesaa版ブログのデータを移してみたのだが、そのときは色々と壁にぶち当たって、一旦あきらめてしまった。
(※2016年11月04日『カラダがよく動く強力な助っ人』の中で書いている)

……で、そのまま長らくほったらかしにしてしまったのだが、その間は“メンテナンスモード”にするプラグインを使って閲覧できない状態にし、また、ワードプレスで検索エンジンのボット(クローラー)を断る設定にしていた。

長らくそんな状態だったせいか、移転後もまだボットは来ておらず、このサイトは、ネット上ではほとんど認知されていない。

確か一週間くらい前に、Googleで「太極拳ってど~よ」と入力すると、この「doyotaichi.99taichi.info」以下のページが少しだけヒットするようになっていたのだけど、トップページはまだだった。

まあ、seesaa版旧ブログからリンクを張っているだけで、ブログランキングなどのデータも修正していないから、なかなか浸透していないのも当然と言えば当然か……。

――なので、今のところほぼ百パーセント近く、このサイトにアクセスしてくる人は、seesaaの旧ブログからか、あとは一度来てからブックマークやRSS登録して、来ている人だ。

ただ、アクティブなお客さん(閲覧者)が、思っていたよりも多かったことが判って、ちょっと驚いた。これは嬉しい意味で。

正直、最低限の機能しか無かったseesaaのアクセス解析の感触からは、アクティブな人は数十人くらいかと思っていた。もしかしたら50人も居ないんじゃないかと。

移転後は少し高機能なアクセス解析を使っていて、少なくともseesaaのときよりはずっと正確なデータが得られるようになったのだが、そこからの感触では、この20日ほどのデータだけでも、上記の3倍以上は居るようだ。
と言うのも、この間にアクセスがあったユニークIPの過半数以上がリピーターで、何度も来てくれているからだ。
中にはかなり足繁く覗いてくれている人も居る。

あ、もちろんこれは、アクセス解析からわかる……というか、推測される範囲のことで、IPはすべてが固定とは限らないし、一人一人のことが何もかも正確に判るわけでもなく、ましてや個人情報が僕に筒抜けということはないので、そこはご心配なく。
(心配なら、よく使われているようなアクセス解析にどんな機能があるか、グーグル先生に聞いてみるといい)

それから、アクティブなお客さんのすべてが、好意的に見に来てくれているとは限らないのだけど、このブログを気にかけてくれている人が大勢居れば居るほど、僕もきちんと最後まで書かなければという責任感が強くなるというものだ。
そこは素直に有り難く感じておくことにしたい。
これからもよろしくお願いします。

さて、今回は、S先生の道場にお邪魔させていただくようになってから約半年間、つまり年末あたりまでのこと。
期間的には、前回までに書いた『S道場初訪問とその頃のこと』や『復帰後、初めての忘年会』もそうだが、記事を分けようと思ってまだ書いていなかったことがあるので、それについて書く。

稽古回数が週3回になって

無駄になった太極拳教室

S先生のところに行かせてもらえるようになるまでに、T先生との月3、4回だけでは稽古機会が少ないということで、太極拳教室をやるようになったことは、前にも書いた。
けれど間もなくS道場にもお邪魔させてもらえるようになったので、太極拳教室は徒労になった。

……まあ、それでも「せっかく始めたのだから」ということで一年くらいは続けたのだが、結果的にはただ面倒なだけでしかなかった。
何せ「武術として教えるわけではない」という建前で始めたし、来ていたのはほとんどが中高年の女性や飲み屋で知り合った女の子ばかり。
型を教えるのに手がかかって、まともな稽古はできなかった。

それはともかく、そういやこの時期は週3回の稽古になっていたのか……などと思い出していたら、結局、T先生への不満に行き着いてしまうのだ。

僕がT先生の立場だったなら、意図を汲んで、

「まあ、もう少し待て。間もなくSさんのところにも行かせてやるから」

と、面倒なことはしなくていいという話をしただろう。
僕は別に太極拳教室をやりたいわけではなかったのだから……。

そしてT先生は、僕が何か前向きなことをしようとすると、

こいつ、オレより強くなろうとしてやがる

――みたいな、それを快く思わない感情がありあり。
けれど、そんな器の小ささを気取られたくなくて許容している、という感じだった。

何度も言うようだが、ブランクがあって怪我の後遺症がある上、年齢も上がってからやり直そうとしていた僕が、ちょっと稽古を増やしたくらいで、どれだけ一気に上達できるというのだ?
どうしてそんな感情を抱かれなければならない?

そして僕は、多少ははっきりと意思を示しながらも、基本的には従順に接し、お酒なども奢ってご機嫌を取りながら、少しずつ許しを得るようにしていたわけなのだが、いつも結局、ろくなことにならなかった。

鍛錬と内功

K拳の鍛錬は、S道場に行き始める頃には少々慣れてきていたとは言え、それは、最初ほどひどい筋肉痛に見舞われることは無くなってきていたというだけで、実質、本当に慣れるということは無い。
またK拳の鍛錬は、あとになってやるやり方の方がピンポイントに効いてくる。
鍛えようとしている筋肉の一点が、「しんどい」や「きつい」ではなく、「痛い」のだ。とてつもなく痛い。
もちろん「しんどい」「きつい」も無くならない。

最初は、慣れない運動をやったことで起こる筋肉痛。
そして筋肉に負荷をかけていくことや疲労によって起こる筋肉痛。
回数を増やし、負荷が増大することによって起こる筋肉痛。プラス、炎症。
運動の質が変わることで、ピンポイントに効いてくる負荷。ちぎれるような痛み。
最終的には、その全部と、回数が増えることの辛さ、苦しさ。
――といった感じだ。

(いい歳こいて、何でこんなことやってるんだろう……)

そう思いつつも、やはり強いオスでありたいという気持ちにしがみついて、やり続ける。少なくとも、僕の場合はそんな感じだった。

それでも、まあ、稽古後の酒は美味くなる。

鍛錬後の飲酒は、筋肉の成長のためには、本当は良くない。
体も一時的には弱っている状態だから、栄養を摂って安静にするのがいい。
筋肉は鍛錬によって傷んだ部分の修復と成長に時間がかかるので、2、3日は休ませるのが、実は効率的なのだ。
けれど細かいことに拘ってもしょうがない。
その酒を飲めるようになることも、体を強くするということだ。

この前、酒を飲むと赤くなって飲めないときがあることや、まだらに赤くなるときがあることを書いた。
鍛錬を始めたばかりの頃、稽古が終わった直後は、やはり一時的に体が弱るせいか、そうなることが多かった。
けれど二年、三年と続けていくうち、段々と平気な度合いが増していった。
それだけ体が強くなっていったということだろう。

ついでに言うと、僕は医者ではないから詳しくはないが、筋肉と肝臓には深い関わりがある。
体を鍛え、筋肉が傷つくと、その修復のための材料として主にタンパク質が必要になる。
だがタンパク質を多く摂るということは、肝臓を駆使することにも繋がる。
つまり、体を鍛え、多くのタンパク質を摂取すると、その分解に肝臓は活発に働かされることになるのだ。

もしここで、体が弱い人がいきなり過度な鍛錬や栄養摂取をしたら、返って害があるだろう。
けれど体がそれを受け入れ、強くなろうとする方向に働けば、内臓は強くなり、体も元気になる。そしてますます鍛えられる。

で、肝機能が高まればタンパク質の取り込みも向上するが、合わせて酒などの解毒作用も上がるようだ。
そして酒だけでなく、当然、飯も美味い。食事の量も増える。
傷めた体を修復しようと、体が栄養を欲しがるからだ。
その繰り返しで、丈夫な肉体が作られていくのだ。

こういったことも僕は「内功」の一つだと考えている。
つまり「外功」と「内功」は表裏ということだ。
気や呼吸法で内臓を鍛えることも内功だろうが、案外こういった当たり前なことを、中国武術愛好家の多くが見落としているのではないかという気がする。
また、これは他の内臓についても同様のことが言えると思うが、ひとまずこの辺に留めておく。

とにかく、これでT先生がもっとマシな人で、嫌みを言われたりしなければ、きつい鍛錬もそれなりに楽しく、そして稽古後も、もっと楽しい酒になったのだが……。

S道場に行き始めてからの稽古

K原君以外の相手

水曜日にT先生にしごかれて、ダメージを引きずったまま金曜日の稽古。

それでもS道場では大抵、鍛錬はK原君とだから、T先生に比べれば力は格段に弱い。
そのときのK原君とは力が同じくらいだったから、楽ということは無かったが、けれどそれくらいでちょうど良かった。

そして、土日はぐったり。

……太極拳教室は、月曜日だったかな?

K原君が休みだったり、気まぐれでS先生から、他の誰それとやれと指示されたりして、相手がI内君だったり、I上君だったり、TKさんだったり、T田さんだったり……ということはあったが、最初の頃は他の人と当たることは滅多に無かったから、それはそれで貴重に思っていた。

その中でも比較的多かった相手は、京都のI内君と、先生たちの兄弟弟子のTKさんだったと思う。
但しTKさんの場合は、ほぼ鍛錬だけだった。

I内君との稽古(1)

金曜日の稽古に出席率のいい面子の中で、序列的にK原君のすぐ上は、I内君だった。
I内君は京都メンバーの一人で、門内で最も体が小さい人だ。

あとで知った話では、I内君は、元の序列はS井君の上だったが、家庭の事情で二、三年来れなくなっていた時期があり、その間にS井君と序列が入れ替わってしまったそうだ。
なので名簿上は、S井君、I内君、K原君の順になっていたのだが、元はI内君の方が先輩だったから、S井君としては微妙な思いで、K原君が居ないときは自分が一番下という感じだったらしい。

ただ、二人は、入門して三年のK原君よりずっと長くて、どちらも十年以上のキャリアだったが、仕事や家庭に縛られてあまり道場に来れなくなり、たぶん稽古も疎かになっていたS井君に比べれば、熱心に武術を続けているのは、あきらかにI内君の方だったろう。
だから期間による序列というのは、十年以上ともなれば、上の数人以外はあまり意味を為さない。

――で、I内君との稽古だが。

初めて鍛錬の相手をしてもらったときは、体は小さいのに大した力だと思った。
背丈はたぶん160cm以下、体重は辛うじて50kg台後半というところだったのではないだろうか。

逆に言えば、

(この体でこれだけ力があるのだから、オレはもっと力が無ければダメだな……)

と、思わされたし、それはその後も、いつもそう思っていた。

けれどやはり、立ち方、姿勢、動きを見ると、

(んん……?)

という感じだった。

しばらくして、組手をする機会があった。
と言っても、攻め手がただ一本突いて、受け手がそれを捌いて攻撃を返す、というだけの約束組手。空手で言う一本組手だ。

約束組手なので、突きだけは本気で突いたが、I内君は反応が遅れて、何度か僕の突きを上手く捌くことができなかった。
そしてそんな中で一度、手首付近で僕の拳を受けてしまった。

ガツンという感触。

これが結構痛そうだったので、そのあと僕は心持ち加減した。

……ただ、僕もこのときは復帰して一年も経っていない上、T先生とはまだまともな組手稽古もしていなかったから、本調子とは言えなかった。
それを、しかも真っ直ぐにしか突いていないのに、十年以上もやっている者が受け損なうというのは、ちょっといただけない。
そう思ったのが正直なところだった。

まあ、けれど僕は、突きには昔から割と定評があった。
よく「速い」と言われていた方だ。
だからI内君が僕の突きを怖がったことは、内心は小気味がいい思いだった。

また、このときだったかどうかはわからないが、S先生からも一つ関心されたことがあった。それはリーチの長さについてだった。
相手からすれば、思ったより「グンッ」と伸びてくるように見えて、恐いらしい。

しばらくするとI内君の手首のあたりが、漫画のタンコブみたいに大きく腫れて膨れ上がってきた。

(げげっ! なんじゃそりゃあっ!!)

心の中ではかなり驚いたが、僕は平静を装った。
描いてみると、こんな感じだ。

手のコブ

これよりまだもう少し大きかったかもしれない。

何か言うべきか、ちょっと迷った。

しかし、「痛い? 大丈夫?」とか「ごめんね」などと声をかけるのは、違うだろう。
こちらは約束上の動きしかしていないのだから、上手く裁けなかったのはI内君が悪い。
これは後に、S先生も普段の稽古で時折言っていたことだ。

『突く方はちゃんと本気で突けよ。受ける方は、受けたり避けたりできんかったら、それは自分が悪いぞ!』

――と。
武道の稽古というものはそういうものだろう。約束に反して当ててしまったのではないのだから。

なので、僕はその場はただ黙って通した。

もちろんI内君も、やられて腹が立つというような顔はしていなかった。たぶん、ただ自分自身に対して「くそっ」という思いだけだったと思う。

I内君との稽古(2)

ちなみに、何年か後のことだが、逆に僕がやられてしまったことがある。
ついでだから書いておく。

攻め手が、ゴム製のナイフを持って、刺しに行く。
受け手はそれを叩き落とす。
――そういう練習をしていたときだ。

そのときI内君との稽古になって、まず僕が攻め手だった。

「ふんんんーっ!」

勢いよくI内君は僕の腕を拳で叩き落とした。
ゴムナイフの種類はダガー。たぶんこれと同じ形状じゃなかったかな。

トレーニングナイフ

(※上の画像はネットより)

確か、秋葉原通り魔事件(連続殺傷事件)のあと、それに触発されてこういう稽古をしたのだったと思う。
ゴムナイフは前からあったので、このとき初めてこういう稽古をしたわけではなかったのだろうけど……。

で、このときは約束上、中段を突いているから、叩きやすい。
そして僕は、親指側を上にして持って、刺しに行っているから、手首の急所あたりを打たれて、結構痛かった。

もちろんI内君は、ずいぶん前に僕に打たれたのを根に持っていて、仕返しに強く打ったとか、そういうことではない。
彼は生真面目な性格のようだったから、S先生の指示通りにやろうとして一生懸命、僕の腕を叩き落としただけだろう。

それでも、あえて比べるなら、彼の損傷と僕の損傷は、原因がまったく違う。
以前のI内君の怪我は、彼自身の未熟が招いたミスによるものだったが、今回の僕の怪我は、自分自身のミスからでは無い。叩かせてやって受けたダメージだからだ。

確か左右、十本以上ずつ突いた。
右で突いたときには、彼は左手で打ち落としていたので大したことはなかったが、さすがに利き手の右は威力があった。僕の左手はじーんと痺れた。
それを十本ほどやられたのだから、平気なはずはない。

(絶対にあとで腫れ上がるな……)

まあ、でも今度は僕の番。

――と思った途端、S先生からみんなにストップがかかった。
(え? 何で?)

よく憶えていないが、このときT田さんやT先生が道場に着いて、S先生と何か話し始めたんじゃなかったかな。それでストップがかかったのだった気がする。

仕返ししたかったというわけじゃないが、不公平感はちょっと残る。
でも先に受けたダメージで、こちらは思うように打てなかったかもしれない。
まー、しょーがない。

その後、T先生と

I内君から受けた打撲のダメージは、意外なことに、あとで大きく腫れたり痛みが増したりということは無かった。
どこかでぶつけたみたいに、ちょっと痛みが残っているという程度だった。
2、3日すると、血が鬱血しているのか、大きな紫色の痣になって、見た目だけはずいぶんと痛々しくなったのだが。
そして、そのままT先生との次の稽古日が来たが、T先生は僕の左手首にはまったく気がつかなかった。

さらに金曜日。I内君との稽古から一週間。
左手の紫色の痣は、少しずつ散って、最初の痣より広範囲にまだらになっていた。このときには痛みはまったく無し。

で、この日になってT先生が僕の手首を見て、

「あっ! 何やそれ。どうしたん?」
(をいをい、何を今頃)

「いや先生、実はね――」

事情を説明すると、T先生は「ふんっ」と軽く笑って言った。

「鍛え方が足らんから、そんなことになるんや」

だったら同じ打撃を受けてみろよ、と言い返してやりたかった。

そのT先生、同じ頃、道場でミット打ちしている際に、拳の皮を擦り剥いたことがあった。
道場で使っていた薄手のミットは、表面がざらざらで、元々素手で打つようなものではなく、素手で打つとみんな時々擦り剥いたりしていた。
僕がたまたま絆創膏を持っていたので、貼りますか、と言ったら、

「要らん。これくらい大したことない」

と言って、断った。まー大したことないのはわかるけれども。

――で。

それからまた別の日、今度はゴムナイフの稽古をT先生とやった。

顔以外を半ば自由に攻撃するようなオーダーだったと思うが、僕のゴムナイフが一度T先生の胸元をかすめた。
そのあとT先生が乳の下のたるんでるあたりを何度か触っていたので、

(あれ? 当たったっけ? でもゴムだしなぁ……)

などと思っていたら、稽古が終わって着替えるときになって、T先生がシャツを脱ぐと、そのあたりが少し切れていた。
ちょうど胸の肉がたるんでいるところだったから、そこが擦れてヒリヒリしていたらしい。

「hideくん、絆創膏持ってないか?」

僕は内心、吹き出しそうになるのを堪えながら、

「すみません、今日は持って来てません」

……いやいや。
意地悪したのではなく、本当に持っていなかった。

Y本さんとの稽古

数年後のエピソードまで長々と書いてしまったが、時期を戻して、Y本さんとのことも書いておく。

Y本さんは、仕事が忙しいらしくて、遅めに来ることが多かった。
また、S先生や序列が上のお弟子さん同士で稽古していたので、特に最初の頃は、僕はほとんど一緒になることは無かった。

そして、前から書いているように、Y本さんは別格だった。
S先生と比べてもほとんど遜色なく見えた。

ただまあ、S先生からのことはほとんどすべて受け継いでいるにしても、武術に関する知識や解釈の面では、時々「ちょっと違うかなー」と思うようなことを口にすることもあった。
そんな中で、S先生から「ちゃうやんけ!」と言われるようなことも、何度か目にしたことがあった。
けれどもとにかく、門内で一番強いのはY本さんだったろうと思う。

そのY本さんに、稽古の中で一度だけ優位を示せたことがあった。
と言っても、ゲームのような稽古で勝っただけの話だが。

S道場に行き始めて何ヶ月かしたあるとき、S先生が考案したという練習法を先生たちが試していた。

やり方はこうだ。
最初は四正推手のように手を付け合って、そこからスタート。

姿勢推手 準備姿勢

(※上の画像はネットより)

相手を崩すか、逆手をかける、転かす等の技をかけて、決まれば勝ち。
また、膝や手をつかせても勝ち。後ろを取った場合も勝ち。
但しお互いの両手が離れたときは、勝負は流れて、そこまで。
突き蹴りや足を引っかける等は無しだ。

「推手なんかクソの役にも立たんからな」

S先生は軽く笑みを浮かべながら言った。
そして、見てろという感じで、これからその稽古をやろうとしているT田さんとT先生に視線を移した。

(ふむ……。どうなるんだろう……?)

――勝負は一瞬。
お互いの手が離れて、流局だった。

「やっぱそうなるか。難しいかな……」

S先生はそう言って、何か次のことを指示した。それでまた二人は、一度か二度やってみたが、やはりすぐに、つい手を離してしまう。
最初、どちらかが相手の手首を掴むと、反射的にそれを外してしまい、お互いに持たれないようにするから、その時点で両手が離れてしまう、――という感じだった。

「この前から何回かやってみてるんやけど、アカンなー」

で、S先生は僕を見て、Y本さんを指して、「やってみ!」と言った。
この日は、僕の記憶では、来ていたのが先生たち3人と、Y本さんと僕の、5人だけだった。

「ええっ? いきなりですか? やったことありませんよ?」
「まあ、ええやんけ!」

S先生に促されて、Y本さんと僕は、さっきまでT田さんとT先生が居たところに立った。
Y本さんはやったことがあったらしいが、僕はまったく初めて。

S先生の号令で始まると、お互いに相手の手首を取ろうとした。
Y本さんは僕が掴んだ手をあっさり外して僕の手を取りに来たが、僕も取らせない。けれどここで両手が離れたら終わり。
僕は咄嗟に、自分からもう一度Y本さんの手を取りに行った。掴んで強引に捻ろうとしたのだ。

ちなみにこれは、技に無いことをやろうとしたのではない。
合気道や柔術の関節技は大抵、捕まれた手を外して技をかけるので、自分からかけるような技は無いと思われているかもしれないが、積極的に相手を掴んでかける技が豊富な流派もあるという。
もちろん僕らは、基本的には打撃系だから、掴んだりするよりは、突いたり打ったりする方が手っ取り早いと思っている。
けれど今は、前述のようなルールでの約束稽古の最中だ。

僕が手を掴んだ瞬間、Y本さんは「おっ!」と一瞬、驚いた感じだったが、すぐさまそれを返して、僕の肘を押さえにかかった。
僕は腕を取られ、振られて、反対側の手を床に付きそうになったが、辛うじてそれを堪えて、体勢を立て直した。

そのとき周りで「おーーっ!」という声。

そしてまたY本さんの手を取り返しに行った。
それからは、とにかくお互いに、相手の手を掴んで離さないようにして、相手に技をかけようとした。
僕が逆手をかけようとしてもまったく通用しなかったが、逆にY本さんの方も僕に対して同様だった。
この少し前からT先生と、学校の柔道場で時々柔術の稽古をしていたが、これが功を奏した。

そしてジタバタする内、最後は僕がY本さんに後ろから抱きつくようなかたちで後ろを取り、どうにか勝った。
最後はY本さんの方が、力を緩めて譲ってくれたような格好にも思えたが……。

時間にして1分くらいはやり合っていただろうか。
T田さんとT先生の数秒に比べれば、二人ともかなり頑張ったと言えるだろう。

僕は肩で息をするほど呼吸が乱れていたが、そのとき視界に入ったS先生の顔は、少し怒気を含んで強張っているように見えた。
後れを取ったY本さんに対してだったのだろうか。
僕は咄嗟に、ことさらハアハア、ゼエゼエと、なかなか呼吸が整わない演技をした。もういっぱいいっぱいでダメです、というように。
それを見たS先生は、「ハハハ!」と笑って表情を緩めた。
そして、その稽古をすることは二度と無かった。

T田さんは「やるな」というような顔をしていたように思うが、T先生は苦い顔をしていた。まるで「勝ちやがって!」みたいな。

……まあ、古い話なので、すべて僕の記憶や解釈通りかどうかは自信が無い。
けれど僕からすればこんな感じだった。
なのでこのときもT先生に対して、

(自分の弟子が善戦して嬉しくないのか?)

と思ったのが、記憶として残っている。

まともな組手で勝ったとか優位を示せたとかではないから、自慢というようなものではない。
けれども、ブランクがあって出戻りとは言え、早い内から武道をやって来た身として、それなりのところを示せた気にはなった。

まとめ

まあ、そんな感じで、S先生の道場に行けるようになって、ようやく本当の再スタートを切ったという気になった。
だけど、ほとんどの人が十年以上と聞いて、みんな先生たちと変わらないくらい身に付いている人ばかりかと思っていたら、それはそうではなかった。

僕としては、T先生を見ていて、少なくともT先生はS先生と少年時代から一緒に修行してきているわけだから、T先生より優れたS先生のお弟子さんが何人も居るはずが無いとは思っていた。
強いかどうかは別としても、技の熟練度として。

――で、あれば。

大体は想像がつこうというものだ。

それでも、「力」は、まだ誰よりも下。K拳の実態もわからない。
S先生の突きは、とにかく凄い。
……答えを出すにはまだ早い。
僕はこのあとも、ここで武術を続けていくことになるのだった。

ちなみに、この前、書こうと思っていたことを忘れてしまったと言っていたのは、今回のI内君とY本さんとのエピソードのことだ。
あと、年内に“年越し稽古”のことを書く予定だったが、このあとはもう無理なので、年が明けてから、次回。

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