中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行09:稽古を再開して数ヶ月間のこと6

投稿日:2017年4月21日

K拳の鍛錬を始めて、まだ間が無い頃のこと。稽古に向かう途中、駅の階段で足首を捻ってしまったことがあった。
私鉄からJRに乗り換える際、地下を通って行こうと階段を二段飛ばしに駆け下りていたら、よりによって最後の平地のところでカクンとなった。
(やっちまった……!)
運動会の父兄参加の駆けっこで、転倒してしまうお父さんの気分だ。
カクンとなった瞬間は軽く捻った程度に思っていたが、電車の中で座っている最中も患部がずっとひりひりしたままだった。
これは絶対、時間が経つにつれて腫れてくるに違いない。
学校までは割と普通に歩けたが、その間にも痛みが増してきていたので、学校そばの薬局で湿布と包帯を買ってから門をくぐった。

長年のブランクというだけでなく、年齢も上がったせいか、鈍臭くなったものだ。
体重が重くなったせいもあるかな。このときで70キロくらいだったが、重い荷物を担いでいたことも、足首を捻ってしまった一因だろう。

この日、T先生は割とすぐに来たと思う。
靴置き場から講堂に向かいながら、怪我をしてしまったことを話して、動き回る稽古は出来そうにないので、それ以外にしてもらえるようお願いした。
「太極拳はできそう?」
「はい。型だけなら、今のところは大丈夫です。でも痛みが増してきているので、途中で耐えられなくなるかも知れませんが……」
「湿布は? 今、貼る?」
「いえ。稽古中はズレてしまうでしょうし、終わってから貼ります」
するとT先生は、僕に十円玉を持っていないかと聞き、二枚出させて、それを足首の患部に貼るようにと言った。
確か、1枚は反対の足の同じ部分にも貼れと言われたと記憶している。民間療法の一種らしかった。
けれどそれこそ、貼るためのテープなどは無かったから、ズレてしまう。十円玉は靴下の中に入れて靴との間で挟むようにしたが、すぐ方々にズレるので鬱陶しかった。
それを我慢し、何とか太極拳を九十九勢まで終え……。
「どう? マシになった?」
「いえ、特には。これってどういう効果があるんですか?」
「ん。気の流れとかな。あと、殺菌効果もあるらしい」
「……そうなんですか」
しかし20分やそこらでマシになるわけがない。
それどころか悪化の一途。稽古は鍛錬中心で、早めに終わってもらったが、着替えて湿布を貼る頃には足首が一回り膨らんで太くなっていた。
鍛錬は立ったまま定位置で行うものだったが、踏ん張るので、鍛錬のきつさも相まって、途中からは冷や汗タラタラ。
帰りはびっこを引くかたちでないと歩けなくなっていた。

そうそう、「びっこ」という言葉を使ったので、ついでに書いておくが、これを差別用語として使わないようにする向きもあるが、僕はそれは過剰だと思っている。
以前、T先生が使った「カタワ」は、また意味が違ってくるので別として、この「びっこを引く」というのを他の言葉に置き換えるとしたら「跛行」とか「足を引きずって」とかになるのだが、前者は聞き慣れないし、後者は少しニュアンスが違う感じがするだろう。
まあ、「びっこ」も、誰も使わなくなれば違和感のある言葉になってしまうのかも知れないが、現状、個人的意見としては、通じている言葉をわざわざ“言葉狩り”して追い落としてしまうのはどうかというのが、僕の立場だ。
但し他人に対して使う場合は多少の配慮が必要だと思うし、罵ったり蔑んだり、それこそ本当に差別的な意味を込めて、悪意を持って使うのは論外だと思うけれども。

――話を戻そう。

ところで、僕が担いで行っていた荷物だが、中には、前にも書いたがノートパソコン等が入っていた。着替えや上履き諸々と合わせて3キロ以上あったと思う。それに素振り用の木刀を持って行っていたから、バッグやケースの重さも含めれば、合計で優に4キロ以上だ。
ノートパソコンは何のためかと言うと、T先生と動画を見るためだった。
これについてはまた別の機会に。
とにかく自分の体重プラスこれら荷物のせいで、ヤワな僕の足は捻挫。
たまたま捻ってしまったにしても、まー何というか、情けない。

この日は、帰りにもあまり待たされなかった。
もしかしたら怪我をしている僕を気遣って、早く出てきてくれたのかも知れない。……などと思ったのも束の間。
学校を出て、びっこを引いてひょこひょことT先生の後ろを歩いていると、T先生はいつもの歩調なので、僕は追いつくのが大変になった。
「先生、すいません。ちょっと待ってください。もう少しゆっくりお願いします」
振り返るとT先生は、渋い顔で「何を大袈裟に」というような顔。
もちろん怪我をしたのはT先生のせいではないが、それにしてもこの人は他人に対する思いやりとか、共感力が乏しい人なのだなー、と思った。
そして、歩きながらT先生、
「今日は天王寺にしようか」
と言ったので、今のやりとりで僕の足を考慮してJRで移動してくれるのかと思いきや、そのままいつものように地下鉄まで徒歩。
甘かった……(笑)

――で、天王寺に着いてからが、また大変。
これまたいつものように、入る店を物色して、迷いながら地下に地上にと行ったり来たりでウロウロすること40分。
結局、アポロビル裏にある商店街の居酒屋に入った。

この商店街。長らく行っていないのでGoogleのストリートビューで見てみたが、今は小綺麗な通りになっている。だが当時は、アーケードのある昔ながらの商店街で、古いことや日雇い労働者や浮浪者がたむろする地域がすぐそばだということもあり、薄汚いところだった。

で、当時の写真が無いかと画像検索してみたら、それっぽいのがあった。

入ったのは、この写真左側の「新力」と書かれた店のように、角にある店だった。もしかするとこの店がそうかも知れないが、写真がアポロビルの裏なのかどうかはっきりしないので、わからない。
ただ、僕らが行った当時は、道はもっと汚かったと思う。

それが、今はこんな感じらしい。↓

ま、先ほどの画像の、汚かった頃に戻ってもらって。

店に入ると、日本酒用の大きな冷蔵庫があり、いろいろな銘柄の日本酒が並んでいた。どうやらそういう酒が飲める店を探していたらしい。
T先生はそこにあるものを飲んでいいかと僕に断って、二、三杯飲んだ。

その間、どういう流れからだったか、武道に興味を持ったきっかけのような話になって、このブログでもずいぶん前に書いたことがある、先祖が侍で、小藩ながらも大名の家だったかも知れないという話をした。
ついでに言うと、僕の母方の家は、間違いなく百姓なのだが、田舎の地主で、元は豪族だったらしい。親族の年寄りによると、苗字は古くからあり、その苗字は平家に由来していて、源平合戦のときに九州地方に落ち延びた平氏の一族の末裔だという言い伝えがあるそうだ。
ちなみに、大名だったかも知れない父方の先祖は、苗字から察するに、源氏の一族から分かれた家だったらしい。と言っても「源」の字に由来するような苗字ではないが。
まーしかし。今となっては、昔のことはわからない。
とにかく、元々小さい頃から武道に興味はあったが、中学生のときに先祖が侍だったと聞いて、なおさら武道への興味が増したというだけの話だ。
そんな話をしたのだが、ふと見るとT先生は強張った顔になっていて、
「ふん。僕んとこは百姓や!」
あと、何か聞き取れないことをブツブツ言いながら臍を曲げてしまった。

僕が先祖自慢に聞こえるようなことをちょっとくらい言ったところで、この僕自身はただの独り身の寂しい男なのだから、フツーはそんなふうに機嫌を損ねるようなことではあるまい。
怪我をしている足であちこち歩き回らされて、酒も奢っているのに、こんなみみっちいことで臍を曲げて……。なんてヤツ。
内心、そんなふうに呆れてしまうのを、どうして抑えられようか。

で、少ししらけたムードが流れた後、唐突にT先生。
「ちょっと。もう一軒行こか!」
「え? あ、はい」
店の雰囲気も気に入らなかったらしい。
以前、T先生と再会した日に入った安酒場ほどではないにせよ、あまり落ち着かない店だった。そりゃあ場所柄そうだろう。何故わからない?
そして、そこに僕の先祖の話で興が削がれたようだ。

勘定は確か7、8千円ほど。
(げっ。30分ほどしか居なかったのに、場所にしては結構な額だな……)
日本酒が効いたらしい。
T先生は日本酒が好きで、この頃から日本酒を飲むことが増えてきたのだが、よほど高いものは飲まないにしても、銘柄をいろいろ置いているところならわずか1杯がどれもビールよりも高いし、銘柄によっては二、三倍くらいになる。
(今日は1万5千円コースか……)
そしてまた、店を出て15分か20分ほどウロウロ。
確か地下の、以前入ったことのある暇そうな店に落ち着いたのだった。

帰りは、最寄り駅に着くと、家まではタクシーで帰った。
シャワーを浴びようと服を脱いで足の包帯をほどくと、稽古が終わって湿布を貼るときに見た一回りどころか、足首の太さが「5割増しか!」というくらい、パンパンに膨れて腫れ上がっていた。

足を挫いたのは自分だし、自分の責任だが、これほどの悪化はT先生にも責任の一端があるだろう。
そして数日以上、この挫いた足の不自由さと、翌日からの筋肉痛で、寝起きやトイレにも困る始末。何をやっているんだか……。

K拳の鍛錬は、ざっくりと乱暴に言ってしまえば、主に二人組でやる筋トレである。
しかし単に筋トレと言ってしまうのは適切ではない。「型」としての要素や「推手」のような意味合いも兼ねているからだ。
それに、どこを、何のために、どんなふうに鍛えるか、――が、よく考えられていて、現代的な筋トレとは根本的なところが大きく違う。
それは、重りや器具などをほとんど使わず、人間同士で負荷をかけ合ってやるところ、そして、武術的な動作の上で大きな力が発揮できるように工夫されているところだ。
一つ一つは単純な動作の繰り返しだが、その種類が多く、重要なものほど支点の確保や全身の力の集約に気づかされるものとなっている。
これをやれば、誰でも「洗練された力」としての威力が増すだろう。
T先生からも少しずつはそういった説明を受けていたが、おぼろげながらも自らの経験からそれを理解できるようになるまでに、数ヶ月はかかった。
何せ最初は、遠いところ、つまり末端の部位別鍛錬から入る。
フツーの筋トレと何が違う?
いや、現代の筋トレの方が効率的では?
『結局、チカラ?』
――などと、思えてきてしまう。
しかし早計に判断するにも、まだ材料が足りないといった感じだった。

T先生が、自己中心的だったり気分屋だったりするところが、一緒に居ても不快なときは、
(またオンスか……)
などと、心の中で陰口を叩いていた。
オンス。――今は死語に近いだろうか? 要するに、女性が生理のときに情緒不安定になるのを男性に置き換えて言っている言葉だ。

また、そう思ってしまうくらい、T先生の鍛錬の指導は、ちょっと鬱憤晴らしのようなときがあった。
「指導する」「育てる」と言うよりも、いびるような扱い。
例えば、物事の善悪が判らず過剰に後輩をしごく、中学生くらいの頭の悪い体育会系のノリだ。
もちろんシゴキが悪いとか中学生が悪いとか言っているのではない。
いつも言うように、程度の問題であり、気持ちの問題なのである。
叱咤激励と、貶めて腐す、言葉の違いも。

具体的には、例えば、ただでさえ力の差が大きいのに、自分の力を誇示するように抑えつけて、なかなか動かせないようにして楽しんでいる感じ。
仮に、力の差を知らしめることが指導の一環だとしても、ちょっとしつこすぎる。
そして言葉責め。
ひどいときは、
『はん! 全然アカン! 全然ダメや! 全然力無いわ! 僕はいっこも練習になれへんわ!』
――などと、一動作ごとにいちいち一言挟むかたちで罵ってきたり、だ。
「オラオラどうした! もっと力入れんか!」などと言うのとは、明らかに違うだろう。

まーしかし。それでも。僕が実際、力が無いのは事実だった。
だから……我慢するしかない。

そしてまた次の月になって、月初めに月謝を渡すとき、
「いじめてもらい代やな」
などと、にやにやしながら言うのだった。
しかしこれも前から書いているように、本人は悪意があるわけではなかったと思う。表情も悪意に満ちた顔というわけではなかった。
だからたぶんユーモアのつもりらしかったのだが、この人が言うと中途半端に嫌みになってしまう。

ちなみにそのT先生、即興の似顔絵だが、こんな人だ。

……地味。

帰りは、地下鉄まで歩くと、当時はホームに緑の公衆電話があり、大抵そこから家に連絡を入れていた。
「あ、僕です。今、○○です。これから帰ります」
(何故、ですます調?)
最初は、留守電にメッセージを入れたのかな、とも思ったが、何度か見る内には、会話しているときもあったようなので、普段もそういうよそよそしい話し方だったのだろうか。
その奥さんは確か、同じ大学で合気道部の同級生か後輩だったと思う。
昔、T先生が友達と飲んだノリでフーゾクに行って、まだ結婚前の彼女時代の奥さんにそれを話したら、理解を示してくれたと惚気ていたことがあったが、今はどうなのだろう。
そんな話をT先生にしたら、
「え? 全然憶えてへんわ。そんな話したっけ?」
「で、今はどうですか?」
「そんなこと言ったら、大変なことになるわ!」
――とのことだった。
あとで判ったことも含めて言うと、フーゾクにはS先生たちと一緒に行ったらしい。そしてフーゾクに行ったのはそれ一度きりだったそうだ。

で、僕はこのやりとりをすっかり忘れてしまっていて、後にT先生と決別してからS先生と飲んでいるとき、T先生の奥さんの話になって、
「そういえばT先生って、お見合い結婚でしたっけ?」
などと聞いたりしたことがあった。
「いやいや。何言うてんねん。あれでもれっきとした恋愛結婚や!(笑)」
「え? そうなんですか?」
「あれ? お前が知らんっておかしいやないか」
それでS先生と話しながら記憶を辿っていくうち、さっき書いたことも含めて思い出したのだった。
まあ、正確に言うと、忘れていたというよりは、勝手に「お見合い」だと、いつの間にか思い込んでしまっていた感じかな……。

脱線……。

鍛錬や筋肉痛などについて、もう少し書いておこう。

最初は三つか四つの動作を30回くらいずつやっただけだったのだが、結構な筋肉痛に見舞われた。
それでも、そのときはまだ「自分の運動不足を痛感した」という程度だったが、前述のように、負荷が高くなり、回数が増えるに従って、まるでたこ殴りの暴行を受けて足腰立たなくなったような状態にまでなった。
筋肉痛というより「怪我」だ。
筋トレの筋肉痛ではなく、打撲による筋肉痛のような痛みだった。
特に肩や腕が炎症を起こしているため、布団で寝ていて、睡眠中に寝返りを打っても、痛みで目が覚めてしまうほど、痛い。
トイレで大を済ませたあとは、尻を拭くのにも苦労した。
湿布やアンメルツが手放せなくなった。
そして、数ヶ月の間は、痛みが治まることがないまま、次の稽古日が来るのだった。
ひどいときは、稽古が2週間空いたときでも、まだ治っていなかった。
今思い返してみても、特にまだやり始めで、力が無かった時期に関しては、さすがにT先生は加減知らずだったのではないか……?

ただ、それ以降も、最初の頃ほどひどい状況ではないまでも、4、5年くらいは、筋肉痛が完全に治まっているような日は無かった。
特にS先生の道場にも通うようになってからは、ほぼ週2回の鍛錬になったので。

とにかく、T先生との力の差を少しでも縮めないと、一方的な状況が続いてしまう。それと少しでも早く回復させないと辛い。
筋肉の修復、回復、そして成長のためには、タンパク質を摂らなければ、ということで、プロテインやアミノ酸製品を試すことにした。
それから、稽古を再開したばかりの頃は昼過ぎに軽く食べる程度にしていたが、それではT先生と鍛錬をする時間にガス欠を起こしてしまう。
なので、学校に入る前にウイダーinゼリーや栄養ドリンクでエネルギー補給しておくことにした。
栄養ドリンクはオロナミンCを飲んでおくだけでもバテる度合いが違うように感じていたが、前回のダメージの残り具合やそのときの体調によっては、少々高いドリンクを飲んで稽古に臨むこともあった。
それで、元気ハツラツ、ファイト一発、頑張って、稽古後は吸収が速いとされるアミノ酸、家ではプロテイン、――という具合。
まるでドーピング。
しかし僕は競技者ではないし、年齢が上がって体力も落ちていて、こうでもしないとついていけないと思った。
それにガチで言うなら、栄養ドリンクに含まれているようなもの程度では、競技でもドーピングにはならない。確かそのはず。
まあ、これも稽古における苦労話の一つ、ということで。
タンパク質の摂り方については、体験も踏まえて、また改めて書こう。

「稽古を再開して数ヶ月間のこと」は、ひとまずここまで。
何か思い出したらまた書くかも知れないが、次回からは、もう少し経ってからのことを書いていく予定だ。
その前に、技に関すること等、別の記事を挟むかも。

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