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太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行05:稽古を再開して数ヶ月間のこと2

投稿日:2017年1月19日

再び稽古始めの頃。実はこの時期だけで書くことが山ほどある。
そして、最初の数ヶ月間だけでも、僕はT先生に多くの失望を抱いてしまうことになるのだが、そんな中でいかにこの武術を学ぼうとしたか、その機微を、『武術とは何か』ということと共に感じ取ってもらえればと思っている。

誤解の無いように言っておくが、武術をもう一度教えてもらえることになったときには、T先生を悪く思う気持ちはほとんど無かった。そんなに嫌だったら、ハナからもう一度習おうなどとは思わないだろう。
それどころか、T先生がSNSで僕を見つけて連絡してきてくれたときは、本当に嬉しかったし、再会時は懐かしさでいっぱいだった。
少しだけ引っかかっていたのは、T先生を嫌ってやめた兄弟弟子たちのこと、そして、一度復帰したときに少々ぞんざいに扱われたことくらい。
それらは心に残っていたものの、これから良い付き合いができれば、自然と解消されていくはずのものだった。

それから僕は、高校を卒業したばかりの18歳のとき、当時“全中連”の大阪支部だったT先生の道場を初めて訪ね、図々しくも、
『バイトの都合があるから、他の曜日に教えてもらえませんか?』
と、相談したわけだが、T先生が融通を利かせてくれたことに恩義を感じていた。
だからその後も、指導を受ける中でごく普通にT先生を師匠として尊敬していたし、歳が近いことで兄貴のように思ってもいた。
T先生の実家の建て替えで稽古場所に困ったときには、気を利かせて近所の公民館を借りる手配をして、その「お礼」と言ってT先生がこっそり口伝を教えてくれたこともあった。
そんなやりとりの中で、T先生との間に心の交流や親しみを感じていたつもりだったし、だから兄弟弟子たちほどには、僕はT先生のことを嫌ってはいなかった。

ただ、天王寺での再会のときからそうだったが、ちょっとした行動や言葉の端々に、面倒臭そうな人だということが窺い知れる部分があって、回を重ねる毎に先行き不安な思いが募っていった。

稽古日、校内で待っていると、現れるときのT先生は大抵仏頂面である。
その度に僕は「機嫌が悪いのかな?」と思いつつ、和んだ空気を作ろうと、愛想良く話しかけたりした。
すると、実はそれほど機嫌が悪いわけではないときもあれば、本当に機嫌が悪いらしいときもある。感情の起伏がわかりにくい。

それから、ユーモアだか何だかよくわからないことを時々する。
これはたぶん2回目あたり、稽古帰りの居酒屋でのことだ。
T先生はまず2、3品を頼み、僕はシュウマイと何かを頼んだ。
そして、T先生は先に来た料理を食べ始めていて、僕は何か喋っているところだったが、そこにシュウマイが来た。
僕は気を利かせて、
「あ、T先生も良かったらシュウマイ、つまんで下さいね」
と言って、話を続けた。
すると、瞬く間にそのシュウマイをT先生が全部平らげてしまった。
まず一つ目を僕の目を見ながらぱくっと口に入れ、続けざまにまた僕の目を見ながら二つ目……という感じ。T先生は無表情なままだ。
(うん…?)
意味がわからないまま話を続けていたら、残りを次々口に運んで、一皿5、6個のシュウマイを、ものの1分もしないうちに全部食べてしまった。
僕は反応に困って、話しかけていた言葉がうまく出て来ずスローになって、少々呆気にとられた。
T先生は話を聞いているのかいないのか、ただ黙々と口を動かしていた。

『あー先生っ! 僕の分を全部ーっ!』
――と、ツッコミを入れるべきだったか?

心の中で思ったが、それにしても行動の意図が意味不明。ユーモアでやってるんだか何だか、微妙でよくわからないのだ。
第一、そんなノリツッコミをやれるほどの関係はまだ出来上がっていない。
そして、食われたからと言って同じ物をもう1皿頼むのも何だか言いづらくて、時間をおいて、T先生がまた何か頼むのに合わせて、別のものを頼んだのだった。

別の日にも似たようなことがあった。
それからは注文の時に、少量の品を頼むときは、
「先生も食べますか? 二皿頼みましょうか?」
と聞いたりするのだが、
「いや、一皿でええんちゃうか」
と言う。けれどその品が来ると、またT先生がほとんど食べてしまう。
僕は、お酒を飲み始めるとあまり食べないから、例えば三品頼むとしたら、二品は一緒に食べられるような物、一品は自分が好きな物を頼むようにしていた。
T先生は、大抵最初は魚料理や小鉢の品を頼む。それらは一緒に箸をつけるような物では無い感じなので、僕は遠慮し、T先生が一人で食う。
あとはとにかくパッパッと、僕の分などお構いなしに、T先生はテーブルの上の物を食ってしまう。

誤解しないでもらいたいが、僕はケチで言っているのではない。
そうやって僕が頼んだ少量の品も平らげてしまうくらいなら、何故その分も頼まないのかということだ。2皿でも3皿でも食えばいい。
まさか遠慮しているわけではあるまい。そんな遠慮が働くくらいなら、人が頼んだ少量の品を、先んじてほとんど食ってしまったりしないだろう。
そして、T先生が食べたいものは、それはそれで頼んでいるし、それも食っているのだから。

そして、こういうことはずっと続くのだが、しばらくすると僕は、少量のものは予め見越して2つ頼んだり、T先生に食べられたら、構わず同じものを追加で頼んだりするようになった。
すると今度はあまり手を付けなかったりする。
僕が余分に頼んだ分は、余ってしまうのだ。それはそれで嫌な気になる。

また、前述のようなおかしな行動は、からかってやっているのなら、からかってやっていると解るようにやってもらいたい、と思っていた。
(この人、カラミ辛えー)
心の中でそうつぶやくしかない。言葉に出してツッコミ辛いではないか。

からかうと言えば、T先生は、天王寺での再会の時から、
「僕にお酒を奢って何を得ようとしてるんや?」
と言っていたが、これは当初、会う度にそう言ってからかってきていた。
その度に僕は心の中で(しつこいなあ…)とつぶやいて、辟易していたのだが、T先生はユーモアのつもりらしい。
もちろんそれは解らなくも無いのだが、この人が言うと、冗談なのか本気なのか解りにくい上に、意地悪く聞こえてしまう。
要するに、“シュウマイ”の件もそうだが、噛み合わないのだ。
僕は今までの不義理を埋める意味でご馳走しようと思っていて、そこに他意は無かったのに、T先生は、
『自分にお酒を奢って何か聞き出そうとする狡いヤツ』
――というように、決めつけて、からかう。
僕としては、そんなつもりじゃないのに、と思いつつ、合わせて笑うくらいしか対処できないし、しつこく言われると嫌な気持ちになってしまう。
そんなことを言われてまで、何で奢らにゃならんのだ、と。
で、本気で言っているのなら否定しなければならないが、それはそれで馬鹿らしいし、そんなことを言い返して雰囲気が悪くなるのも何だかなあ……という感じだった。

そしてまた、何かとシモネタに繋げてくるところにも辟易していた。
再会する前の電話で、
「K拳には女をイカす技もあるんや」
という話をしていたことを前にも書いたが、その話もしばらくはセットになっていた。
二度目か三度目の稽古の帰りだったと思うが、“TSUTAYA”に行く道々で、K拳の話をしながら一人で盛り上がって「チ○ポ」だの「オ○コ」(関東なら「オ○○コ」)だの大声で話すので、慌てて、
「先生、声が大きいですよ! ここ通勤路でしょ!」
と諌めたことがあった。
このK拳のエロ技のことは、人に話したくてしょうが無かったらしい。
ちなみに、
「先生、それは“房中術”というヤツですね?」
と聞くと、
「ン……」
と言葉に詰まった。
このときのT先生は「房中術」という言葉を知らないように見えたのだが、その後は時々口にするようになった。中国に詳しいT先生なら知っているはずのことなのだが……?

それはともかく、僕が水商売をしていたから「性的にも経験豊富だろう?」とでも言いたげな感じで、何かとスケベな話題をふっかけてくる。
ある日、話がいちいちシモの方にいくので、
「先生、シモネタ多いですね」
と苦笑いしながら言うと、
「アンタがシモネタ好きやからや! アンタに合わせてやってるんや!」
と、逆ギレというほどきつい口調ではないが、そんな風に反撃された。
話を合わせたことはあっても、こちらから積極的にシモネタをふったことなどあったかな。どちらかと言えばT先生がそんなだったから、なるべく避けていたように思うのだが……。
ついでに言えば、僕が若い頃に働いていた北新地では、シモネタはちょっと気の利いた言い回しで言う場合が多かった。モロな言い方は、同じ大阪でもミナミや下町やガラの悪い地域のノリとして、バカにされた。
今はどうだか知らないが。

また、ある日の稽古帰り。天王寺で飲もうとJRで移動していたのだが、電車の中でフルコン空手や格闘技の話になった。
話の前後はよく憶えていないが、逆手や固め技や寝技などで捕まって抜けられないときはどうしたらいいと思うか、と聞かれた。ルールは無視していいとのことだった。
「そうですね…。だったら、噛みつくこと…でしょうかね」
T先生は一瞬目を丸くした。すぐさま、それを僕に悟られないように表情を戻したが「何でわかった?」というような顔だった。
「いやいや先生、僕をどんだけ初心者扱いしますの? それに昔、金兵衛先生が書いてた護身術の本にもあったじゃないですか」
笑いながら僕はそう返した。
“護身術の本”に書かれていたのはこんな文言。
『片手を斬られたらもう一方の手、両手を斬られたなら足、足を切られたなら歯(這ってでも噛みつけ)、命を絶たれたなら化けて出よ』
――と。
文章はこの通りでは無かったかも知れないが、大体こんな感じ。
古流剣術か何かの教えだ。

ただまあ、そうでなくとも、ちょっと考えればわかりそうなものだ。噛みつくこともできないように極められたらどうしようもないが。
しかし本当に実戦なら、そんな状況に陥った時点で終わりだろう。噛みつくのなんて、まだじたばたできるときの一縷の望みに過ぎない。

それから、確か護身として「素手でどこまでやれるか」と「拳もある程度は鍛えておかなければ」というような話の流れで、僕がこういう話をした。
「大山倍達さんが、誰かに自分の拳を見せて『こういう手をしている人間を見て喧嘩を売ろうなどと思う者はあまりいないでしょう』と言った話があるそうですが、それはそれで一理あると思いますね」
するとT先生は苦笑い。
「あそこまで鍛える必要はないやろ。それなら武器を使えって話やで」
「もちろん僕もそう思いますよ。それに手の形がいびつになってしまうほど鍛えようとも思いませんしね。僕は“一理ある”と言っただけです」
「…………」
T先生は、何か言いたそうにしていて、それを飲み込んだ風だった。

電車を降りて、人気の無い地下への階段を降りて行こうとしたとき、
「さっきの話、電車の中やったから言わへんかったけどな……」
と、T先生は僕の耳元に顔を近づけてきて、
「大山さん、朝鮮人やねんで!」
と、声を細めて言った。
「えっ、知っていますよ?」
僕はT先生の方を見返して言った。何を今さら、という感じだった。
大山さんが在日韓国人だったことは、特に大山さん死去後は、かなり知られてきていたのではないだろうか。
と言うか、そのこととさっきの話は関係ないだろう。
朝鮮に対する好き嫌いを言えば、僕もはっきり言って嫌いである。
しかし、一人一人のことは、一人一人のこととして、分けて考えなければならないと思っている。
その上で、例えば大山倍達さんという人を考えた場合、あとから漏れ伝わってきていることから想像するに、子どもの頃に漫画のイメージからあこがれを抱いたような人では無かったことは、想像に難くない。
しかしそれはそれとして、残っている逸話や語録の中で「それはそうかも」と思えるようなことを、話の流れから引き合いに出したに過ぎない。
本人の出自のこととかは、また別の話だろう。
(この人、みみっちいな……)
と、僕は思うのだった。

ちなみに、大山倍達さんに関することは、この“在日”云々の問題も含め、松田隆智さんの話とも絡めてそのうち書こうと思っている。
そのときには僕も、まあ、批判的な意味で在日韓国・朝鮮人のことを書くと思うが、それもまた別の話である。
ただ、“在日”の武術家も人それぞれ、毀誉褒貶も功罪もあるわけなので、一方的な内容にはならないだろう。

さて、今日、最後に書くのは、学校での稽古を開始してから1、2ヶ月以内の話だ。まだほんの数回の頃。
もしかしたらさっきの“シュウマイ”のエピソードと重なる日なのかも知れないが、さすがに10年以上も前のことなので、よく憶えていない。
とにかく再会して間が無いときだったので、小さいことではT先生の面倒なところを幾つか見つけつつも、まだ「嫌だ」と思ったり、本気で腹が立つというようなことは無かった。
だが、再会してから数えるほどしか会っていない、その日の帰り、僕は一生忘れられないであろうほど嫌な思いをして、T先生のことを大嫌いになってしまうのである。

時間は夜7時半を回った頃だっただろうか。稽古帰りに地下鉄A駅までの途中の居酒屋で一緒に飲んで、その店も出て、帰宅しようと駅に向かって歩いていた。
途中、T先生が何やら買わなければならないものがあるとかで、ドラッグストアに付き合わされた。
それでまた店前で待たされたが、まあ、そのときは5分か10分程度。
寒い中、酔い醒めせずに済んでほっとして、また歩き始めた。
そしてA駅に差しかかるあたりで、T先生が何気なく口を開いた。
「そういやhideくん、結婚は?」
僕が独身だということはすでに話してあったので、結婚歴も無いのかと聞いたのだろうと思った。だがとりあえずこう答えた。
「いえ、してません。バツ歴もありませんよ」
「彼女は?」
「今の住まいに移る少し前に別れて、それきりです」
「ふーん」
おかしいな、前に話したはずなのに……。
この人、手持ち無沙汰を解消する程度に会話しているだけで、話した内容はきっと右から左なのだろうな。……などと思いつつ。
ただ、T先生はお酒が入って機嫌良さげだったし、僕もそれに合わせて愛想良く受け答えしていた。ごくフツーに、何気ない会話。
「結婚する気は無いの?」
「無いわけじゃないですけど、しばらく貧乏していましたしね。それにこの歳になると、出会うきっかけもほとんどありませんよ」
「今までに子どもも居らんの?」
「居ませんねー。できたこと無いです。子どもは欲しいんですけどね」
「へー。歳、幾つやったっけ?」
「先生の四つ下ですよ」
「そうやったっけ」
「でもまあ、まだ諦めてないんですけどね。諦めたくないというか。せめて子どもだけでも欲しいんですけどねぇ……」
「今から子ども?」
「はい。男だし、まだ大丈夫かなあ、と」
すると、一瞬フンと鼻で笑うような感じで、
「カタワ生まれるわ」
と言った。
「……えっ?」

僕は一瞬、我が耳を疑った。
そして、その言葉を理解すると、怒りが湧き上がりそうになるのを堪えて、尋ねた。
「先生、どういう意味です?」
「男もな、年齢が上がってくると精子が劣化してくるらしいで。カタワが生まれる確率が上がってくるんや」
「それにしても……カタワって……」
T先生は障害者が通う学校に勤務しているので、障害者をたくさん見てきている。その経験から言っているらしかった。
しかし今まで機嫌良く世間話をしていたこの流れで、そんなことを言うのはどういうことだ。しかも“カタワ”などという言葉を出して。
そして、人が「子どもが欲しい」という願いを口にしているのに、その思いに水を差すどころか「カタワが生まれる」って、どういう神経なのだろう?
「その言い方は、幾ら何でもひどすぎませんか?」
「ホンマのことや。親切で言うたってるんやんか!」

一体どうしてこんな会話になるんだろう。
このあとの付き合いからわかったことも交えて言えば、T先生は職場で障害者を相手にしんどい思いをしているらしい。
障害者の子どもたちも、みんなが健気に生きているとは限らない。生意気でねじ曲がった根性の者も居る。
そういう積もったものが、時々出て来てしまうらしかった。
しかし、だからと言って、「カタワ」という言葉を出したり、鬱憤のはけ口を僕に向けるのはどうなんだ。特にこのときなんて十数年ぶりに、そしていい歳になって、会ったばかりじゃないか。
今まで普通に会話していたと思っていたら、突然の八つ当たり?
(頭がおかしいんじゃないか?)
僕がT先生のことを、そう思うようになっても無理からぬことだろう。

辛うじて僕は感情を抑え、その場をやり過ごした。
その後は、このことを思い出す度に怒りが込み上げてきた。
そして僕が、
『絶対に一生許さん!』
と思っているT先生の暴言・暴挙の、最初の一つがこれである。
当然ながらこのあともまだまだ続く。

兄弟弟子たちがT先生を嫌ってやめたことも合点がいった。
結局、昔と何も変わっていない、成長していないのだなあ……と思った。いやそれどころか、返ってひどくなっているのではないか?
(こいつ、バカだ……)
僕の心の中にはT先生を軽蔑する思いが芽生え始めた。

それでも僕がT先生と大きな衝突をせずにやって来られたのは、T先生が基本的には大人しい人だったからだろう。
内面の性格の悪さはともかく、見かけは温和な常識人だったから、怒鳴り合いに発展するようなテンションにはならない。
それとお酒のとき、武術以外にも映画、ドラマ、小説、漫画、アニメなど、そういった創作物の話では気の合うところもあった。
僕も腹に一物抱えたままではしんどいから、できるだけ良好な関係を築こうと努めたし、いちいち腹を立てているわけでもなかった。
例えば、約束の時間に大幅に遅れて来ることも、思いやりの無いところも、一つ一つは、心の中では苦々しく思いながらも、そのときは「まあ、しょうがない」程度に流していた。
今日書いたシュウマイの話も、T先生がどんな人かということを描写した例であって、それ一つに怒ったり失望したりした話ではない。

それに、これといった自信も得られないまま、腹を立ててやめてしまったら何にもならない。
だから、僕は、T先生に対しては諦めて、最終的にはS先生に習えるように持っていこう、それが出来ないときは、ダメだと判断したところでやめよう、と決めていた。
T先生と師弟関係である以上、S先生の弟子になるわけにはいかないだろうが、S先生の道場にお邪魔させてもらえるようになれば、自然と教えてもらえるようになり、幾らかは見て盗むこともできるかも知れない。
“すべて”を習えるとは最初から期待していなかったが、
『そんじょそこらの者には負けない』
という自信が持てるところまで、最低限、行きたかった。
とりあえず3年は我慢して、あとは行けるところまで。そう考えて、基本的にはT先生ともなるべく仲良くやることにした。

それでも時には、心中穏やかでいられないこともある。
いっそブチギレてやめてやろうと思ったことが、何度あったことか……。

(つづく)

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