中国拳法、武術、格闘技など、徒然気ままに…

太極拳ってど〜よ!?

徒然エッセイ

第二期修行04:稽古を再開して数ヶ月間のこと1

投稿日:2016年12月30日

これから書いていくことの中には、師匠への恨みつらみが含まれる。
巷にある暴露話のようになってしまうだろう。
僕の修行経験や技術論に興味を持って継続的に読みに来てくれている人も、師弟の確執になど、あまり興味はないと思う。
けれども、僕がどのような苦労をして技を学んできたかは、得てきたものと表裏である。そして今の武術観とも無縁ではない。
何かを得ようとするとき、それと引き替えに犠牲になるものがある。
大抵それは、時間であったり、金銭であったり、何かの我慢や精神的な苦痛であったりするのだが、程度の問題というものもある。
この世界に興味を持つ人、深く修得したいと思っている人にとっては、自分にも起こり得ることだし、あるいは、すでに同じような思いをしたことがある人もいるかも知れない。
そんな問題提起も含めて、書いていこうと思っているのである。

それから、このブログを好意的に、興味を持って読みに来続けてくれている人がどれほどいるか……は、わからないが、アクセス解析などを見る限り、たとえわずかでも、確実にいると僕は確信している。
だから僕は、読者への責任感から最後まで書こうとしているところもあるわけなので、そんな人たちが、もし何かを得ようとして読んでくれているのなら、最後までお付き合いいただければ幸いである。

さて、まずは、前回も挙げた学校の見取り図だが、やはり気になったので少し修正した。描き忘れたものを追加したところもある。

話に関係する場所や部屋については、1階にあるものは水色で、2階にあるものはピンク色で分けた。
靴置き場が黄色なのは、そこにあるベンチがT先生との稽古以外で最も長くいさせられた場所なので、目立たせる意味で他と色分けをした。ここは1階である。

――ちょっと初稽古の日に戻る。
前回書かなかったが、実はこの日、飲み物を買い忘れて学校に入った。
指定の時間には間に合いそうだったが、5分前までには門をくぐりたくて、急いでいたせいだ。事務所前でT先生を待っている間には、喉が渇いて、口の中が粘っこくなってしまっていた。
T先生が現れたとき、
「先生、飲み物を忘れてきてしまったんですが、買えるところはありますか? 先生の分も買ってきましょうか」
と、尋ねたのだが、
「無いんちゃうかな。僕はええわ。職員室で飲んできたから」
そう返されて、そのまま講堂に向かうことになった。
冬だからそれほど喉は渇かないとは言っても、稽古前から口の中が粘ついていたので、少々辛かった。
あとで考えれば水道水でも良かったのだが、そんなことを言える雰囲気では無かったせいか、稽古が終わって小料理屋でビールを飲むまで我慢した。
稽古後は先生が帰り支度をして出て来るまで20分くらい待たされたと思うが、とにかく待っている時間がすごく長く感じられたのを憶えている。

ちなみに、学校にお邪魔するようになって何回目かの頃、「校舎2」の校庭側に自動販売機があるのを見つけた。
飲み物を買うところ、無いって言っていたのに……。
「先生、自動販売機ありますね」
「うん」
……どういう、「うん」だったのだろう?

で、初日がそんなだったので、2回目の稽古日には予め500mlペットボトルのお茶を買ったが、自分の分だけというわけにもいかないので、T先生の分も買っていった。
案の定、T先生は飲み物を持ってきていなかった。
稽古前に適当に喉を潤しておけば、気温も低いから、僕との稽古くらいでは汗をかくほどでもないし、喉も渇かないだろうと思っているのだ。いつだったか最初の頃にそういうことを口にしていたこともあったので間違いない。
それとT先生は、少々の渇きは我慢して、あとでビールを飲むときの最初の一口を楽しみにしていたからというのもあった。(※これは体に良くないらしいのだけど……)
とにかく、稽古中に自分だけ水分補給するのもばつが悪いので、T先生の分も買っていくのが当たり前になった。寒い時期には、せっかくお茶を買っていってもT先生は一口飲む程度なのだが、それでもだった。
要らないなら「要らない」と、はっきり言ってくれれば良かったのだが。

まあ、お茶程度のこと。お酒を奢るのに比べればわずかな金額だ。
最初は気にしていなかったが、その後、色々と出費が嵩むにつれ、出費そのものよりも、T先生の思いやりの無さが引っかかって、結局、わずかな金のことも考えるようになった。
例えば、稽古前や稽古後に待たされることが多く、それで飲み物をもう1本余分に飲むことがある。それに、しばらくすると駅前のパン屋で待つように指示されることが増えた。
パン屋にはセルフサービスの喫茶コーナーがあるので、店内で飲食できるのだが、当然そこでもお金を使うことになる。
稽古の日は昼過ぎに軽く食べる程度にしていたから、T先生との稽古が終わる頃には当然、腹ぺこだ。長々と待たされることはざらなので、飲み物と一緒にパンを食べて待っていることもあった。
ちなみにパン屋はこんな店だ。画像はネット検索で見つけたもの。

一つ一つは小さな金額でも、積もれば大きい。
(お茶代だけでも年間5、6千円か、それ以上になるんじゃないか?)
そんなことを考えるようになっても、おかしくはないだろう。

それから、たぶんこれも2回目の稽古の帰りだったと思うが、駅に向かう道々でこんな話をした。
「講堂を二人だけで使って稽古できるなんて、贅沢ですね。ちょっと気が引けてしまいますね」
するとT先生。
「まあ、ええんちゃうか。どうせ学校のやし」
公務員だから副業はできないとか、そういうことは気にしていたのに、学校のものを私物のように使うことに対しては良心の呵責が無いらしい。要は直接保身に関わるところを気にしているだけだ。
「いいんでしょうか……」
放課後に使っていない場所を借りているというだけではなくて、暗くなってきたら電灯を点けたりする。たとえわずかでも電気代だってかかっているというのに。
でもこのときは、T先生への気遣いで言っているに過ぎない。だから、
「マンツーマンというのも、今さらですが、何だか申し訳ないですね」
と、こんな言葉もかけた。
「いや。それは構へん。きみが習いに来てくれることで自分も稽古ができるわけやから、僕も助かる。そういう意味では、弟子というのも有り難い存在なんやし」
――この言葉は、ちょっと意外だった。一瞬、嬉しくもあった。
でも、そういえば20代後半に一度復帰したときにも、電話で「きみが戻ってくれるなら僕も嬉しい」と言ってくれてたっけ、と思い出した。
そう言いながら、あの頃も結構ぞんざいに扱われたのだった……。
もしT先生が本当にそう思ってくれるような人であったなら、その後の僕の苦労も、結果的に決別してしまうことも、無かっただろう。

ここで画像をもう一枚。

ちょっと駅を大きくし過ぎたが、まあ大体こんなだと判ればいいだろう。
確か2回目か3回目の稽古帰りからそうだったと思うが、T先生は地下鉄を利用しているので、帰りは大抵、地下鉄A駅まで付き合わされた。
何故、5分程度の距離であるJR駅でないのか、聞いてみたのだが、どうもはっきりわからなくて、その後はT先生に合わせていたので、未だに理由はわからない。
T先生が通う交通経路上はどちらも変わらなかったはずなので、運動がてら歩くためだったのだろうか。
それにしても、天王寺で飲もうというときや、雨の日でも地下鉄まで歩いていたし、かと思うと「今日はJRにしよう」というときもあったから、単に気分なのかという気もしていた。

あと、地下鉄A駅の“TSUTAYA”に付き合わされることもあった。
返却だけならいいのだが、次のビデオを借りるというときは、これまた時間が長い。稽古後に靴置き場のベンチで長々と待たされた挙げ句、レンタルビデオ店でまた数十分……。いや、たとえ10分程度でも長く感じてしまう。
それから、安い居酒屋めぐりが好きらしく、今日はどこに入ろうかと徘徊し、なかなか決まらないときはずいぶん歩かされる。
けれど店を物色しているときのT先生は、何だか楽しそうだ。
僕はまるで女の買い物に付き合わされているときのような気分だった。

……で、最初の一月ほどは、学校に着くと2階の事務所に行って、T先生を呼び出してもらうことになっていた。
その際、来訪目的と来校時間を書いて、来客用の番号札をもらって待つ。
帰りには番号札を返して、退校時間を書いて出る。
T先生は、最初の1、2回は10~15分くらいで現れたが、その後はそれ以上待たされるようになった。
僕が事務所前で突っ立ったままでいると、事務員さんが気を遣ってもう一度呼び出してくれたことがあった。
すると、しばらくしてT先生登場。相変わらずのそのそと現れる。
二度呼ばれて、ちょっと不愉快そうな仏頂面だ。僕が催促したわけではないが、きっとそう思っているだろう。心証を悪くしたくないので、
「事務員さんが気を遣って2回呼び出してくれましたけど、僕が頼んだわけじゃありませんので……」
と、一応断りを入れると、言い訳をするな、というような顔。
で、次の月あたり、
「もう事務所は通さなくていい。きみもいちいちサインしたり番号札をもらったりするのは面倒やろ? 帰りは事務所も閉まりかけてるしな。これからは1階の靴置き場のところで待っといて」
と言われた。
それで、その後は靴置き場の脇にあるベンチで待つことになった。
靴置き場のベンチで待つようになってからは、稽古前も稽古後も、30分以上待たされるのがざらになった。

稽古日に指定される時刻は、大体は午後3時30分から4時の間。
この間で40分とか45分とか、半端な時刻を言われることもあったと思う。
しかしT先生が時間通りに現れたことは、全稽古日の中で、ほんの数回程度だったのではないだろうか……。
15分や20分で現れるときはいい方で、30分以上はざら。1時間以上待たされたことも何度かあった。
最長は1時間40分で、そのときは稽古が20分も出来なかった。

さらに追い打ちは、T先生が携帯電話を持っていなかったことだ。
T先生との再会時のことを書いたときにも触れたが、結局再会してから2年以上は持たないままだったと思う……。
初めて30分以上待たされたときは、約束を忘れている、日にちを間違えた、何か問題があった、等々、色々考えたし、事務所に行って呼び出してもらおうかとか、学校に電話してみようかとか(校内からだが)、迷った。
で、ようやく廊下の突き当たりに姿が見えたと思ったら、またいつものようにのそのそとゆっくりな歩調でやって来る。
「遅なった。仕事の“お客さん”優先やからな」
この「お客さん」というのは、実際の来客の意味では無くて、ほぼ校内での人間関係を指していた。生徒だったり、教員同士だったりだ。
待たせても、弟子なら待っているのが当然と言わんばかりに悠然と現れて、軽く「ゴメンゴメン」と言うことも無い。その後もほとんどそうだった。

……ただ、それにしても、だ。
毎回、僕との稽古の時に限ってそんなに時間を取られるものだろうか?
普段から何かと忙しくしていたり、不意に誰かに声をかけられてもじっくり相手をすることが常であったとしても、約束があればそっちが優先だろう。
また、後に判ったが、職員室は突き当たりの2階あたりらしい。
T先生のあの歩調で歩いてきたとしても、2分もかからない。普通なら1分以内に来られるような距離だ。
そんなすぐそばなのに、30分以上、時には1時間以上も待たせて放っておくなんて、常識的にどうだろうか?
幾ら師弟だの上下関係だのと言っても、こんなことが許されるほどT先生は偉いのだろうか。一体どこの大家、大先生なんだよ?
せめて携帯電話を持っていれば、「待って欲しい」の連絡くらいできるだろうし、こちらもメールで連絡するなりできたのだが……。
だが、こんなことはまだ序の口だった。

こんな話ばかりになったので、少しは稽古のことも書いておこう。
稽古は、最初の数ヶ月は、型中心だった。
太極拳を主に、形意拳、八卦掌、柳生心眼流などを、K拳や真極流を取り入れて変更になったところを、改めて教わって修正していった。
型中心なのは、僕自身もまだ体力に自信が無かったから、その方がいいと思っていた。身法も変わったことだし、まずは型を一通り見直してから、徐々に力の鍛錬をやれればいいと。
嬉しいことに、型に関する口伝を、毎回幾つか教えてもらえた。
(あの教えることに関してはシブチンだったT先生が、どうしたことだろう?)
こういうところ、多少はお酒が利いて、その分は教えようとしてくれていたのかも知れない。もっとも、あとで考えれば、それほど大盤振る舞いに教えてくれていたというわけでもなかったのだが……。

とは言え、改めて教えてもらい始めてから数ヶ月か、半年くらいの間に、僕が昔習っていた頃にT先生が知っていた要領や口伝は、全部教えてくれたらしい。
その中で“目から鱗”みたいなことは、二つ三つしか無かったと思う。
あとは大体、自分で気づいていたことや、惜しいところまでわかっていたこと、それほど意外でもないこと、などだった。
ただ、自分で気づいたようなことでも、教えてもらわないと、本当にそうなのかどうかわからない。
当時の僕はまだ、そんな、あやふやなレベルだった。

ある日、T先生がふと、
「普通の人の三倍くらいのペースで上手くなっていくなぁ……」
と、漏らすようにつぶやいた。
滅多に人を褒めるようなことを言わないT先生からこう言われたことは、初日に「なかなか上手い」と言われたことと合わせて、本当に嬉しかった。
確か天王寺で再会した日、昔の僕らに対する評価を聞いたのだが、僕のことは「可も無く不可も無く」だった。
と言うより本当はあまり憶えていない感じだったのだが、実はそう言われることは予想できていた。
何故なら、昔の僕は少し猫を被っているところがあったからだ。
そうでなくても、一番弟子のT君が出来過ぎていて誰よりも熱心に稽古する人だったし、強さや速さで言えばK阪さんの方が優れていたから、その下の僕はやや印象が薄くても仕方が無い。
そして僕は彼らよりも早く、一度抜けてしまっていたのだから。
けれど今はずいぶんと出遅れてしまっているのだし、教えてもらったことを理解していること、吸収できていることを示さなければ、なかなか前に進めないと思った。
急いて覚えようとしていたわけではないが、だからと言って僕も若くはない。体が動くうちになるべく早く、最低限は身につけたいではないか。
それで猫を被るのをやめたわけだが、こうも評価が変わるとは(笑)

そして半年も経たない内に、少なくとも知識的には、30歳頃までのT先生に追いついたらしくて、感慨深い気もした。
でも、出来ることは、まだその頃のT先生に追いついているとは思えなかった。

また、しばらくは型中心ではあったが、K拳は、1ヶ月を過ぎた頃から習い始めていた。
つまりそれは、“力の鍛錬”の続きだった。
「きみのことをSさんにも話したんや。K拳を教えていいか聞かなあかんかったしな。そしたら、すぐに教えてやれって言われたわ。僕は、1年くらいは型だけのつもりやったんやけどな」
――と、T先生。
さすがシブチン。と思いつつも、前述のように、僕自身も急いていたわけではなかったので、これに関しては意外だった。
「S先生は、何故すぐにと言ってくれはったんですか?」
「まー、鍛錬も時間かかるしな。太極拳みたいに時間かからんとは言うても、やったからすぐに強くなるというわけでもない。年齢上がって、武術に未練あって戻ってきたわけやから、すぐにでもやらしてやれってさ」
この通りだったかどうか記憶が定かではないが、大体こんなことを言われたのだったと思う。僕は心の中でS先生に感謝した。

なので、例えば稽古時間が1時間半あれば、最初の1時間くらいが型や用法、空手で言うところの一本組手、技のレクチャーなどで、最後の20~30分がK拳の鍛錬、というような配分だった。
最初は1つの動作を30回くらいで、数種類やる程度だったが、T先生との力の差があり過ぎて、それだけでもひどい筋肉痛になった。
そして徐々に、回数が増えていくに従ってK拳の配分が多くなっていくのだが、ほとんどが鍛錬なので、なかなかK拳の姿は見えてこなかった。

K拳の鍛錬がメインになった頃には、稽古時間のほとんどが鍛錬ということもあり、ひどいときは前述のように待たされて稽古時間が30分程度になり、その30分を鍛錬だけやって「はい、終わり」ということもあった。
それで稽古後はまた待たされて、お酒を奢って帰ってくるわけだ。

それでも、今度は簡単にやめたくない。
知識的に昔のT先生に追いついたとは言っても、これをスタートラインとして、最低でも3年くらいはやってみて判断しよう、と思っていた。

……とは言え、もしこのあともS先生のところに行かせてもらえず、T先生と稽古をするだけだったとしたら、僕はその3年で見切りをつけていたかも知れなかった。

(つづく)

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