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太極拳ってど〜よ!?

鍛志会

武術をやるということ、続けるということ

投稿日:2012年9月25日

前回の記事で3週間ぶり2回目の稽古に来たH君のことを書いたけど、その後彼は、
「1年間、休ませて欲しい」
と言い出した。
さすがにこれには、困惑すると共にがっくり来た。
正直、仕事の残業があるなら仕方が無いとは思っていたものの、3週間も来なかったら、やる気が無いのかと少しは勘ぐる。
最初、道着や木刀を購入してから入門するという姿勢は評価していたものの、面談・体験に来てから少々日にちが経っていたこと、稽古をいつからにして欲しいというのがそこからまた少し先であったこと、など、
「ちょっと愚図なのかなぁ…」
とは、思っていた。
(まーお盆の時期を挟んでいたのもあったけど…)
また、最初はTシャツにジャージでいいと言ってあったのに、道着や木刀を買ってから云々が、やる気があるのか、遅くなった言い訳なのか、どうもひっかかるように思えた。

H君は、地味で大人しく口下手なタイプだが、話をすれば真面目で素直な受け答えをするし、性格は悪くない。
ただ、少々常識を知らないところがあり、考えが浅く、優柔不断なように思える。
水曜日の稽古は、僕が、ズブの素人であるH君への配慮で、
「もし少しでも早く上達したかったら、きみが来れるのであれば週2回来ても構わないよ。月謝はそのままでいいから」
と誘ったのだが、
「では水・土の週2回でお願いします」
と、願い出たのはH君だ。
けれど結果として、水曜日に稽古に来たことは一度も無かった。
そして、初稽古から3週間ぶりに来た2回目の稽古の翌週、水曜日の稽古の前日に携帯メールで、
「転職するために資格の勉強をしたいから、一年間休ませて欲しい」
と言ってきたのだ。
僕はメールを見た瞬間、薄ら笑いを浮かべてしまった。

H君は、8月下旬から来るにも関わらず、僕が、
「回数に関係なく月謝は同じ」
としているのに従って、入会金と月謝を持ってきた。
但しハダカ銭で渡されたので、次からは、百円ショップでどっさり売ってる安物の茶封筒でもいいから、封筒に入れて持ってくるようにと注意した。
(ちなみにこれはK君も同じだったが…)
それから3週間開いた9月には、また月謝を持ってきてくれたのはいいが、少しばかり透けているような茶封筒に、封を閉じていない状態でお札が入っていた。
前回の稽古から間が開いたし、注意も交えて少し話しておこうと食事に誘ったのだが、その際、封筒の中身を一応確認したら1万円入っていた。
練習生の月謝は5千円だ。
何で1万円を入れたのかと聞くと、まぁ、本人、なかなか来れなかったことを悪いと思ったからなのか、
「気持ちですので…」
と言う。
僕は、結構お金を使って武術を学んだことや、武術にはお金がかかるという話はしたが(このブログでも書いたが)、しかしそれは、僕にも同様に金をよこせと言っているのではない。
H君にも苦労話として話しているのであって、武術の価値を知って欲しいという意味を含んではいるが、こんな風に余分な金を黙って入れられていたら驚くだろう。
入れておくにしても何かメモ書きでも添えておいたらどうだ。
僕はちょっと不愉快な思いを抱きながら、半分を返した。
そして、そのことも含めて、その日は時間が無くて食事を駆け足で済ませたが、彼の思慮の足りない部分を幾つか手短に注意した。

するとそのあと、夜12時半を回った頃、H君から携帯メール。
今度は何だ、と思いつつ見てみると、
「親に先生の連絡先を教えてもいいでしょうか。何かあったときのためです」
と書かれてあった。
(何かあったとき…って、何やねん)
と思いつつ、いいよと承諾する返事を書いた。
初稽古の帰りにも、初日だからということで安い飲み屋に寄ったが、途中、H君の携帯にお母さんから電話がかかってきていた。
どうやら心配されているらしい。
(手のかかりそうなヤツだなぁ…)
と、思ってしまった。
そう言えば初稽古のあと、腰が痛いと言い出して、H君のメール文章では分からないので、翌日に電話してくるように指示したのだけど、電話でも要領を得ず、次に来るのを待っていたら、3週間。。
ずいぶん不安げだったにも関わらず自主的には病院にも行っていない。
段々と振り回されている気にさえなってくる。
救いなのは、一応はきちんと連絡をくれていたこと、そして会えばそれなりに、彼なりに、気を遣ってくれている態度が見て取れることだった。

まーしかし。
資格を取りたい、そのための勉強をしたい、というのは本当らしかった。
ただ、休んでばかりで2回しか来ていない上に、1年間休ませてくれというのは、あまりにも浮ついているし、こちらのことも軽く扱い過ぎだろう。
お金を払って会員になって、好きなときに行って好きなときに休める、という、チケット制の習い事かスポーツジムか何かのような、気軽な気持ちがありありのように思えてしまう。
もちろん、仕事の都合などで休むのは仕方が無いし、やめるにしたって来る来ないは本人の自由だ。
しかしそういう気持ちでやられたら困るということは最初から説明している。
僕の苦労話だって、そういうことを解って欲しかったからだが、二十代後半にもなって甘やかされて育った女の子みたいな気でいるのはどうなのだろうか…。
僕としては、
ただお金を払って習いに来るだけとか、
自己都合で来たり来なかったりとか、
身につけたい、上達したいという意志が希薄だったりとか、、
そういう人に、自分が苦労して学んだことを親身に教え続けていくのはしんどいのである。

なので当然、引き止める気は無いが、少しでも関わった者として、親切のつもりで幾らか話をした。
1年間休ませて欲しい云々、携帯にメールがあったのが9/18(火)、水曜日の稽古の前日だ。
僕は、振り回されているようで不愉快だということ、そして、
「続ける気があるのならどうして水曜日に直接来て話をしないんだ?」
と返事に書いた。
H君は、そんなつもりはありませんでしたと謝った上で、
「迷惑でなければ(休む間)月謝を払い続けます」
と書いてきた。
しかしそれはそれで、金さえ払えばいいみたいで、彼の気持ちの軽さと、金に対する考え方にもひっかかる。
たった数回会っただけの僕に、稽古には2回しか来ていないのに1年間も金を払うという金の使い方はどうよ?…って感じだ。
僕は、
「月謝は回数に関係なく同じで、例え自己都合で一度も来られなかった月があっても、居続けるなら月謝はもらう、ということは予め言ったけど、たった2回しか来ていない人に、長期間休むからといってその間ももらい続けるわけにはいかない。どうしてもまったく来られないなら、一旦やめるのがいいだろう」
というようなことを書いた。
あと置いてある木刀をどうするか、来ないのなら送るということも。
するとH君は、直接話をしなかったことを僕に注意されて分かったのか、22日(土)に木刀を取りに、そして話をしに来ると返してきた。

H君は、当日はちゃんと時間通りに来た。
僕は、改めて、武術をやるということ、続けるということについて、話をした。
もちろん引き止める意味ではない。
しかしH君は、多少は解ったようで、帰りには、
「やっぱりもう少し考えさせて下さい」
と言って、答えを留保した。
この稿を書いている時点でまだ返事はもらっていないが、まぁ、H君は、愚図だが、話はちゃんとする方だと思うので、しばらくしたら何らかの連絡はあるだろう。

で、本題だが、22日にH君に話した内容も含めて、武術をやるということ、続けるということについて、ちょっと書いておこうと思う。

はっきり言って申し訳ないが、H君は、実際のところ、特に運動神経がいいわけでもなく、センスがあるわけでもない。
それは本人も、今までの経験上、何かスポーツに打ち込んだことも無いらしいので、自覚していることだろう。
そんな彼が20代後半から武術を始めて、長年続けたからと言って、どれほどの腕前になれるのかはわからない。
ただまぁ、あくまでも例えとしてだが、、
3年やればある程度の強さを身につけることができるとしよう。
今の世の中、戦争でも起こらない限り、人と命がけで争うなんてことは、特に日本に居る限り、あまり起こることではないだろう。
しかし無いわけではない。
街で人と肩がぶつかっただけで喧嘩をふっかけられる場合だってある。
それで死んでしまうような事件だって、今までにあったはずだ。
そんなことが自分の身に起こる確率は、気をつけてさえいれば極めて低いだろうが、絶対に無いとは言い切れない。
僕らは、その起こるかどうかわからないイザというとき、何もできない自分では嫌だ、回避する能力もない人間では嫌だ、という気持ちで、男の嗜みとして、武術をやっているわけだ。
もちろん理想的には、武術を通して、胆力を養い、侵しがたい気風を身につけ、他人から軽んじられない人間になることも、目指すべきだろうけれども。
これから始める人が3年後にはある程度強くなれるとしても、何かが起こるのは明日かも知れない。
ではやらないのか?
誰だって最初は初心者だ。
今は弱くても、なりたいと思う自分を目指して、始めるしかない。
では何十年もやっている人は、例えば僕は、イザというとき、ちゃんとした働きができるのか、と言えば、それは何とも言えない。
相手が複数だったり、武器を持っていた場合など、何が起こるかわからない。
何も出来ずにやられてしまうかも知れない。
それでも、
起こるかどうかわからないことのために、役立つかどうかわからない修練を、一生、続けていくのが、この道なのだ。

ただ一つだけ言えることは、少なくとも僕がやっているこの武術は、素手でも人を打てば相手がただじゃすまないくらいの威力を身につけることはできる、ということだ。

例えばH君がいかに鈍臭かろうと、一定以上の修練を積んだ上であれば、もし危急の場面でがむしゃらに動いて相手に一発でも喰らわせたなら、少なくともその場で我が身を救うための突破口くらいは開けるかも知れない。
もちろん細かいことを言えば、暴力に暴力で対抗すれば、法律上、それが正当防衛のつもりであっても、自分もただでは済まないことが多い。
しかし自分の身は自分で守るしか無いという場面が、無いとは言えないのだ。

結局、武術はそんな想定の上での自己満足で続けるしかないものだ。
国の軍備も同じだが、備えておいて使わないことを理想とするのだ。
あとは健康のためにも、体を鍛える、ということを、一生続けていくわけだ。

幕末の長州藩士、村田清風という人にこんな話がある。
確か司馬遼太郎が小説の中で紹介していたのを読んだのだったと思う。
清風は家老まで勤めた人だが、隠居後、家の屋根にはしごをかけ、屋根に登っては飛び降りるということを繰り返していた。
その行動をいぶかった人が尋ねると、清風はこう答えたのだという。
「こうして屋根の上から(西欧の)敵船を見つけたら、いち早く戦場に駆けつけるのだ。そのための訓練をしているのだ」
(内容はこの通りでなかったかも知れないが、大体こんな感じだったと思う)
起こるかどうかわからないことのために日頃から備えておくという意味では、これも同じことだろう。

そして一定以上のことが身についたならそこで終わりということではなく、それを少しずつでも上達できるように、例え細々とでも、磨き続けていくのが武術の道だ。
それは武術を身に纏い、普段の生活習慣のように、例えば風呂や歯磨きのように続けていくということで、何か他の大事なことがあるからしばらくやめるというようなことではないのだ。
これが武術は一生モノということ。

まー、僕も昔は生活に追われて稽古が疎かになった時期はあったし、怪我が元であきらめて武術そのものをやめてしまったこともあったから、あまり偉そうなことは言えないが、それでもやはり、武術のことをまったく忘れていたことなどは無かった。
稽古については、今でもちょっと油断していると疎かになったりする。
だから、習う環境や人と稽古する環境が大事なのだ。

武術をやる、続けていく、ということに素質やセンスがあるとしたら、まずこういうことを理解できるかどうかではないだろうか。。

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